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学生村(31)--山田君のその後(7) [学生村]

2017.12.22


山田君と加奈子のことは部屋を出ると同時に私の頭からは離れていった。番所にでも行ったんだろう。直ぐに帰ってくると簡単に考えていた。それは誰もがそう考えていた。


夕食後、私は離れの部屋に戻って勉強をした。21時過ぎ、一段落し、珈琲を飲もうとマイカップにインスタントコーヒーを入れ、お湯をもらいに母屋に行った。(離れは寝泊まりする部屋と勉強机、風呂、トイレがあるだけ、ガス台はなかった)


玄関のドアを開けたとき、女将のたけけましい声が聞こえてきた。


「何を考えているんだが、あんたがた、どれだけ心配していたかわからんずいたんだが、ずっと待っていたいだに、人の気持ちを考えなきぎゃ、そんなこと忘れずにおれんぞのこともありな〇×▲?!#"・・・・・・・」と相変わらずの大声で、詳細は不明だが、大筋は了解できる話が食堂の奥から聞こえてきた。


大体のことは理解できた

 

今、帰ってきたんだ。でも、食事はどうしたんだろう。加奈子は無事だったのか。


玄関の扉を閉め、靴を脱ぎ、廊下をとおり、暖簾を分け入り食堂に入った

宿屋の関係は割とフランクというか、自分本位だったから、食堂で喧嘩をしていようが、密談をしていようが、割とみんなは無関心的関心で対応するのが常だったので、自分も意外なほど、躊躇なく食堂に入っていった。


山田君と加奈子と女将が長テーブルを挟んで座って話していたが、女将は食堂に入ってきた私を見て、少しだけバツの悪い顔をし、台所に入っていった。

 

「オゥ。帰ってきたんだ。」

「うん」

「どこまで行ってきたんだ。」

新島々まで行って、ブラブラしてからバスで番所に行って、食事をして、滝を見に行ったら最終バスもなくなって、今、歩いて帰ってきた」

「そりゃ、よかったな。加奈子、楽しかったか?」

「ウン」

加奈子は女将の小言にも臆することはなく、元気はつらつ、何の曇りもなく、新島々での出来事、食事のこと、山田君のことなど、楽しかったことをうれしそうに私に話してくれた。


彼女の顔を見ていると、本当に楽しそうで、自分にも、そんなに彼女を喜ばせられるだろうかという思いが沸いてきて、少しだけ嫉妬心のような、遅れをとった気持ちが沸いてきた。





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学生村(30)--山田君のその後(6) [学生村]

2017.11.15


11月もあと半分で師走か、ハヤイはやい。光陰矢の如し。名は体を表すではなく、まさに「諺は体を表す」だ。

朝方、ソネットのメンテナンスがあったようで、6時ぐらいまで打てなかった。

そう言えばPS(パスワード)も変えていないから変えないといけないとコメントがあったっけ。自分側のメンテナンスもしないといけないね。


また、不正楽天メールがきていたし、ほかにも2つほど不正メールが来ていた。皆さんご注意ご注意!


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学生村に来る山田君、あまりしゃべらなかったが、彼は勉強をしに来ているわけではなかった。まず荷物が少ない。いや、ないに等しかった。どう見ても教科書、参考書が入っている鞄ではなさそうであった。


そんな彼だからこそ、宿の子どもたちとはよく遊んでいた。我々勉強組は朝御飯終了後、一服する間もなく、洗濯、掃除をし、お湯をもらい、珈琲を用意し、直ぐさま自分の部屋に入っていくのが常であった。


彼の滞在は長くても1週間ぐらいだったろうか。


そんなに皆とも仲良くなる前にいなくなってしまう彼ではあったが、それは旅先の自由な空気もあり、夜な夜な酒を酌み交わすことも多く、2~3日滞在すれば、それはそれなりに親しくなる環境ではあった。


ある夕暮れ、夕食の時間となり、みんな食堂に集まってきた。

「さあ、今日はいっぱい食べるぞ」と弁護士試験に精を出している錦織君が言った。

続いて「おっ、女将、今日は気張ってね。」と慶応ボーイの船山さんが明るくはしゃぎながら入ってきた。

「そうそう、新しいお客さんが来るいつもそうなんだ。」と船山さんの友人の小森さん。


自分はそういう皆の顔を見ながら、ご飯の給仕をしていた。


「みんな、いっぱい食べてね。お代わりもあるからね。遠慮せんでね。」と今日はそこそこ通じる言い方で、発音はちょっとおかしいけど、女将は話しかけてくれた。いつも気持ちのいい女将であった。


みんな徐々に集まってきた。今日は全員で12名の大人数であった。

全員がそろうまで待つ習慣はなかったが、そこは顔なじみのこともあり、「あれっ、吉田君まで見えないね。ちょっと呼んできて、あの人は離れだから、わからないんだ、きっと。お願いね。」と女将。


離れは2つあって、私の泊まっている隣棟の20畳の部屋と、そこから30メートルは離れているもう一つの離れがあった。そこには3部屋ぐらいあって、割り方、しっかり勉強組の秀才が多かった。食事のときなども、どうしても遅れがちになり、朝は必ず加奈子が呼びに行くことになっていた。


食べ始めている人もいたが、みんなが何となくそろったところで食べ始めていた。20代の若い連中は食べ始めると同時に、我先に飯をかき込むことが多く、みんなあんまりしゃべることもなく、特にお代わりをするわけでもないのだが、むしゃむしゃと食べる音のみが聞こえていた。相当腹が減っていることもあった。


ふと、錦織君が言った。「あっ、山田君がいないね。おばさん、一人まだ来ていないからね。」

「そっか、加奈子と出かけると言っていたもんね。だから、加奈子も一緒にまだ帰っていないわ」


季節は7月下旬、まだ明るかったが、時間はとうに18時を回っていた。


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学生村(29)--山田君のその後(5) [学生村]

2017.11.9
しばらくすると加奈子が学校から帰ってきた。彼女は色黒で健康的な日焼けをしている子どもであった。まだ小学生の低学年だった。しかし、背は高く、学校でも大きいほうだと聞いた。当時、私は余り幼い子どもに興味もなく、季節の挨拶程度に彼女のことを聞いていたので、気にもとめなかったが、今にして思えば、4年生ぐらいの年にしてはおませさんだったかもしれない。それは宿に来る人たちは当然ながら皆年上のお客さんが多く、いろんな人たちの中で話をしたり、遊んでもらったり、また宿の女将の手伝いもしなければいけないということが、彼女の感覚を大人にしていっているのかもしれなかった。
女将に言われたことはテキパキこなす子どもであった。その日、彼女が下校してきたので、そのことを彼女に伝えた。「山田くんが待っているらしいから、少し待っていてとお母さんが言っていたよ。」
「うん」と言葉にならないくらいの小さな声で彼女はうなづいた。
どこかに行く約束をしたんだろうと私は思い。女将からの伝言を彼女に伝えたことで、そのことは忘れていた。
私はいつも日常をスケジュールどおりに過ごした。当時、学校も卒業し、私の学友は皆就職したということは風の便りに聞いていた。友人がどうあれ、自分は自分の道をはっきりと見定めているつもりだったので、「内定が決まった」とか、「就職した」と聞いても別に焦りを感じることはなかった
朝6時起床、着替え・洗顔、1時間の勉強、8時食事、9時~12時まで勉強、12時昼食、13~15時余暇、15~17時勉強、17時夕食、18時~21時勉強・入浴。23時就寝。
こんな一日の予定を自分で組み、過ごしていた日々であった。

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学生村(28)--山田君のその後(4) [学生村]

2017.11.8


おはようございます。


今日もゴミ出しをしてきた。相変わらず量は多い。約30袋だ。こんな早起きをしているのは俺ぐらいかと思ったら、結構多くの人たちが早起きをしている。夏と違い5時前はまだ暗いのに、公園で犬とはしゃいでいる夫婦? 新聞屋さんは当然としても、くわえタバコで家の前にたたずんでいる人もいる。

5時になると皆さん家の電気がつくところが増えてくる。はやりベッドタウンだからか、6時には家を出る人が多いからか、とにかく、皆さん早起きだ



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山田君とはそんなに話をするわけではなかったが、後で聞いた話だと私より1~2歳年上だと聞いた。

今思えばシャイだったんだろう。お互い気にもとめることもなく「あっ、来ているだ」程度の間柄であった。そんな彼も宿の子どもとはよく遊んでいたようで、宿の女将も感謝の気持ちをよく口にしていた。

「助かるんよ。私も仕事が多いし、さったが、とうちゃんもよういないことがあるから目が届かんよぉ。だから、よくしてもらってんさ、感謝せにぁならんさ。」とよくわからない方言でしゃべっていた。実際はもっとわからない。彼女の言葉を文字に書きあらわすのはかなりの無理がある。地方地方の方言はあるけれど、津軽弁よりわからないかもしれない。


東北の訛りは口が大きく開けない分、声も小さいし、ゆっくりに聞こえる。しかし、長野のその言葉は、松本駅前のおみやげ屋のおばさんが発するその訛りとは、かなり違って聞こえた。それは独特で、松本市内の方々もよくわからないという話を聞いたことがあった。つまり、この地方独特の方言、昔は交通での行き来もままならぬことが多く、11月から5月ぐらいまでは雪深く、市内の人たちとのやり取りもほとんどしない時間が多かったせいかもしれない。早口で声が高く、丸で機関銃の如くだ。


しかし、何回も何日も、その言葉を聞いていると自然とニュアンスはわかってくるから不思議だ。

「加奈子がきたらんば、どうしゃこするかってことを山田さんがいおうんかことになっとるけ、そんな早ようせんがって待っていてもほしいがってさ」と私に言ってきた。相変わらず早口で、多分、初めて言われたりすれば、英語を聞いているような、イタリア語を聞いているようなチンプンカンプンだったろう。


しかし、今は違った。大体の意味はこうだ。「加奈子が帰ってきたら、山田さんが一緒に行こうと言っていたけど、早く帰ってきても待っていてほしい」ということらしい。まあ、大体わかれば、いい。伝言はざっくりといつも聞くしかないと思い、いつもその体でいた。



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学生村(27)--山田君のその後(3) [学生村]

2017.11.2
環境とはおもしろいもの。人間はないものから新しい遊びを生み出す。彼もまた遊びの天才として、いろいろな遊びを作り出していた。
山田君は、なぜ学生村に来たのか。その目的はよくわからない
彼とは余り話したことはない。たしか自分より2つほど下だったろうか。彼の出身の高校は、都立の名門であった。その名前を聞いたとき、私は、えっ?と声を上げてしまったほどだ。普通、ここの高校を出た者は、人生において大多数の者が成功という名をほしいままにしていたからだ。
「こいつ、頭いいんだ。」私は心でそう叫んでいた。あんまり馬鹿を言ってはいられないな。そう思ったためか、私は彼とは必要なこと以外はあまり話さなくなった。彼もまた、年の割には大人っぽく、年上の弁護士の卵とか、高校の先生とかと話をすることが多かった。そういうことも彼と疎遠になった理由かもしれない。
彼はたばこもよく吸っていた。学生村に滞在している人間は、大方が貧乏学生であった。それぞれの目標に向かっているとはいえ、それぞれの家庭の事情は当然異なっているわけで、それは持ち物、買うもの、着ているもの、それから漂ってくる雰囲気で何となく理解できた。
彼はいつもふいを突いて来るようであった。私が初めて学生村に来るときは、学生村の協会のようなところに予約の電話を入れ、学生村の一軒の宿を紹介され、そこを通して、何日ぐらいでお願いしますと予約をすることがパターンであったので、宿の女将が「山田さん、今日来るって言っておるが。なんでも突然来るというとるから、断れんよなこともあったりしての、こっちは来るって思ってんば、何というか・・・・」と、よくわからない方言で言っているのを聞いて、彼とは知り合いなんだ。突然、来るといっても、それが通る相手なんだと思った。
その日の午後、彼はまさにぬくっと突然あらわれた。サラサラな髪の毛、紺色のTシャツ、着慣れたGパン、ビーサン、サングラス、たばこを燻らしていた。庭で卓球をしている俺たちには目もくれず、黙って玄関に腰を下ろし、軽そうなバックを一つ持っていた。
私達長期滞在者は、チッキ--今でいうところ宅急便の鉄道便バージョンしかなかったので、東京の近くの駅にそれを持ち込んで、到着駅まで一緒に運んでもらって、残り宿までの間は、自分が運ぶという、そんなシステム(チッキ)を利用していた。決してバッグ1つで済むような量ではなかった。

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学生村(26)--山田君のその後 [学生村]

2017.10.31


今日はF林業と2回目の打ち合わせになった。ハイムの抽選が来月の18日にあるものだから、お互い本気にはまだまだなれないのが正直なところかもしれないが、当たるはずもないという気持ちも多少あり、しかしながら、瞬時に家はつくれるわけもなく、少しずつすり足でやっていくしかないので、大体の図面を引いてもらって、金額的にはこんなところという大枠のお話で終了した。


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学生村の楽しい日々は学生生活の延長であり、ここの生活は夏の夢のまた夢だ。

ここで出会った人たちは、下界に降りると同時に、現実の世界に直面し、学生村の生活は生活として、しっかりと線引きをして、切れ目を入れて生活をしていくというのが現実の話だ。


今も昔も学生時代と社会人の区別ができず、なあなあの気持ちをそのまま持ち続けていってしまう御仁がたまにいることも確かだ。

 

山田外喜雄、彼もその一人だ。遊びにかけてはみんなの中では群を抜いており、車の運転、卓球、釣り、走り込み、なんでもござれであった。


学生村では、遊びと言っても、そんなに多くはない。テレビゲームもなかった時代だったし、携帯もない、あるのは高原の中での遊びだ。いつも自然と対峙した遊びが中心だ。卓球は宿で用意してくれた野ざらしの台が1つ。雨が降れば台はびしょ濡れ、卓球台も、庭にポンと置いてあるだけだから、多少斜めになったり、台の端っこはボロボロになっていたり、それはひどいものであった。



 

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学生村(25)---山田君のその後 [学生村]

2017.11.31


昨日は愚息の子どもを病院(検査のため)に連れていくはずだったが、急に熱を出したので、それを中止したいと嫁が言ってきた。それは大変!・・・と家人。


私は昨日からいろいろ家人がつくった料理(シュウマイ、キーマカレイ、ポテトコロッケ-、酢の物、ハスの煮つけ、そしておでん)を持っていくことだけを考えたが、家人は嫁が子ども二人連れ病院に行くことも大変だろう、嫁も妊娠しているわけで、それはけ手助をしなければ、急ぎ行こうということになった。


やはり、そこの感覚は私とは大分隔たりがある。私はつくった料理の行く末だけ。家人は他人の嫁を思いやる気持ち。


いつもそこは勉強させられるところだ


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学生村の高度は1500メートル前後。夏でも朝晩は長袖が必要だ。


高原の夏は短い。盛夏の7月末から8月10日ぐらいまでは日中ちょっと汗ばむ。しかし、その前後の期間はそんなことは許されないほど冷気と暖気を交互に感じるシーズンだ。


7月の初旬、8月の下旬の朝晩はストーブの出番となる。

そんな短い夏、あっという間の青春を過ごす感覚と夏休みの感覚は共通点が多く。一抹の寂しさ、哀愁、惜別、後悔、ついつい、いろいろな言葉が浮かんでしまうことが多い。


多くの出会いがあり、別れもあり、成功、達成、栄光ばかりではなく、失敗、絶望、退場、それぞれの旅立ちを、止まることのない人生の歩みを、この山田君から話をしてみたい。


相変わらず、長いね。表題にまたまたたどり着けない。次回はぜひ。

 

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学生村(24)--山田君-その後 [学生村]

2017.10.30


今日は快晴。再び台風一過だ。

早朝、実家のゴミ出しをしてきた。今日は紙類の出せる日。段ボール、書籍、衣類等々なので、段ボールを中心に出してきた。段ボール一つとっても、かなり前から家に滞在していたものだから、もうボロボロ、ゴキブリの糞とか、雨水か何かの汚れとか、とにかく汚い段ボールで、経年劣化が著しく。見た目もよくない。幾らゴミといっても品のよろしいゴミと品のよろしくないゴミがあることを初めて知った。それが大量だ。


そんな負い目もあり、早朝、まだ誰もいないときに出す。一抱えもある段ボールを15~6個出してきた。今のところ、我が家の段ボールだけだ。ちょっと目立つ。でも、ルール違反はしていないからご容赦あれ。


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学生時代の学生村。その中の大半の方々は大学4年で卒業だ。だから学生村に来るのも3年ぐらいか。たまに、私のようなプーたろう的な将来の進路も定まっていない人間とか、大学院の修士・博士の優秀な人たちとか、資格試験をとろうとしている人とか、学校の先生とか、そういう人たちは結構長い年月学生村に来ることになる。

 

夏の東京は暑い。当時の東京の最高気温は32度ぐらいか。今のような気温と同じレベルなどはあり得なかった。熱中症という言葉すらなかった。


この続きはまた。

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学生村(24)--恋の花咲くときもある [学生村]

2017.9.15


学生村は当然ながら男もいれば女もいる。部屋は皆襖越しでの仕切りのみだ。そんなスリリングな夜を過ごした御仁は多いけれど、そんなことは思ってもみなかった私は、いつも離れの20畳一間に一人という状態だったから、母屋でのワイワイ楽しいお茶会とか、各部屋の生活音に気を取られることとは全く無関係であったわけで、結構楽しいことも多かったのかいと今の今に至って想像した次第。


夕食後、お風呂に順番に入るわけだが、男湯、女湯と分かれているはずもなく、「次の方、お風呂、どうぞ~」という声に従って、皆順番に入っていったということらしい。では、自分はどうしたのかというと、やはり、母屋で終わった後、最後の人間が「お風呂どうぞ~」と言いに来るので、その声を聞いた後、いそいそと母屋に入浴しに行った


離れにも一応風呂はあった。じゃ、いつ使うのか。それは真夏のピーク時だ。真夏のピーク時は、母屋もお客さんでいっぱいになるので、離れのお風呂は稼働することになっている。

そのときは、女性を除く常連客は皆離れの風呂に入りに来た。


その中で結ばれたのはたった1組。常連は総勢10組ぐらいずついたのだが、2組カップル成立、1組が結婚までたどり着いた。結構、縁はなかったみたいだ。


そのたった1組。今はどうしているのか全くわからないが、別れたという噂話が流れてこないところをみると無事平穏に暮らしているのであろう。


結婚までたどりつかなかった1組は、いいところまでは行ったらしいが、青春の甘い思い出を昨日のことのように熱弁しているご本人を見ていると、彼らにとっては酸っぱ過ぎる思い出のようだった。



 

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学生村(23)-そして誰もいなくなった [学生村]

2017.9.5


今日は理事会がある。一応、監査を頼まれて2年目なので出席しなければいけない。今年も半年が過ぎてしまって初めての出席だ。場所が遠く、時間も夜だ。なかなか都合が合わない。担当の方の年1回の立ち会いと総会の出席だけできれば大丈夫というお言葉に甘えて、今日となってしまった。管理会社の方もやってくれる人がなかなか見つからないらしく、一応、名前だけ連ねている。


・・・・・  ・・・・・  ・・・・・  ・・・・


学生客は誰もいない。一人ポツネンと過ごすのはなかなか勇気が要る。そのときも20畳の大きな部屋に机と布団と手荷物だけだ。殺風景極まりないものだから、どうにも、こうにも落ち着かない。特に夜はね・・・ちょっと怖い。


立ち机の電気スタンドだけで勉強をしていると後ろから冷気がそっと忍び寄ってくる。寒いから、夏物の靴下を重ねて履く。夏休みの宿泊準備だから、冬物の靴下など持ってくるはずもなく、同様に上着も半袖Tシャツを重ねて着る。さすがに長袖の上っ張りは持ってきているので、それを羽織る。でも寒い。肩からおけつまですっぽりと毛布を被った。そんな寒い部屋であっても、もちろん、ストーブなどがあるはずもない。果たして、冬来たら、この部屋の客はどうするんだろうと思った。


朝、ストーブを付けた後、食事ができる。決して華やかな食事ではないし、お世辞にも豪勢とも言えない食事だ。朝食だから定番のメニューだ。ご飯、レタスの味噌汁、ナスとウリの漬け物、目玉焼きとハムとキャベツの千切り添え、味付け海苔だ。


ここに来て、レタスを加熱する食べ方を初めて知った。知ったというか、レタスはサラダで生で食べるものばかりと思っていた者にとっては、少し衝撃だ。


こんなメニューでも、みんなと食べるとおいしい。わいわい言いながら食べるのは楽しく、おいしい

みんなで競ってお代わりもした。しかし、今日は一人だ。当然、食は進まない。


みんなは下界に帰って-----ここでは東京に帰ることを下界に戻ると言っている---何をしているのだろう。それぞれの生活に戻って、それぞれの目標に向かって歩みを始めているに違いない。変な感傷に浸っている暇はなかった。そうだった。前にすすまなきゃ。少しの焦りを感じた。







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学生村(22)-秋の気配 [学生村]

2017.8.22


8月の中旬を過ぎた夏。下界ではまだ暑いのが通例。しかし、高原のお盆過ぎは静かだ。ビーサンを履いてアスファルトを歩いていくと、ペッタン、ペッタン・・・・。そんな小さな音が周りの木々に響きわたる。その音しか音らしいものは聞こえない。そんな静寂の中の高原は、夏の残り香を強烈に思い出させる。しかしながら、勉強には絶好のシーズンだ。


泊まり客も一人減り、二人減りして、今年は自分が最後かとつぶやきながらも勉強に勤しむ。そんな「あっしには、かかわりのないことでござんす」的な気持ちにさせる秋を、実は妙に気に入っていた。


今ごろはそばの花が終わりに近づき、咲いてはいるが、咲き誇ってはいない状態で、それがまた秋の気配が少しずつ自分の周りに音もなく忍んでくるようで、夜、立ち机に座るころ、さほど寒くもないのに、ブルッと身震いをするのは、いつもの秋の始まりの私の作法となっていた。


8月の後半はスズムシは息絶えコオロギが全盛で泣き叫んでいる。彼らにとっては短い秋。だから必死に鳴いて、異性を求め、次世代に命をつないでいく。だから、このうるささは、6つある部屋に一人しか残っていない私にとっては、ほどよく話相手になってくれている。


朝は寒い、8月下旬だというのに薪ストーブの登場だ。ガスでスイッチをパチンではないので、新聞紙を丸め、火をつけ、細い薪を新聞紙の火種が消えないように井桁に組ながら少しずつくべ、煙にむせながら少しずつ大きな太い木を順番にくべていく。薪で火を起こすことがなくなってから「くべる」という言葉はあまり使わなくなった。


誰もいないわけだから、私しかストーブを付ける人間がいないわけで、ひたすらに薪に火が付くことに専念する朝であった。

 

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学生村(21)-秋の気配 [学生村]

2017.7.7



高原の夏は短い。


7月上旬、厚く大きなはどこまでも続き、大股で走るように山々を飛び越えていく

それは幾重にも幾重にも重なり続け、見ることを飽きさせない。


雲の間を純青の空が表れては消え、消えては表れ、俺の出番はまだかまだかとせいているかのようであった。

秋に向かうとき、そんな空には遭遇しない。その雲の色は決まってネズミ色、確かにいつもネズミ色だ。気持ちを十分なくらい落ち込ませるネズミ色だ。


その年の秋も雲はネズミ色一色が多く、今年の冬の厳しさを予感させるものになっていった。


今年の夏は、多くの学生が来た。学生以外にも一般の旅行者、登山家、私たち同様の学生のグループ。山から下りて山村荘に宿をとる者もいれば、下界の新島々から小一時間バスに揺られて来る者もいた。


皆それぞれの理由で、それぞれの目的で、夏のバカンスを楽しんでいるのだろう。


山村荘に宿する者たちは、そこが学生村であることなど知らない。偶然、同じ宿に泊まった者同士という感覚で我々に接してくる。私たちは私たちで、変に常連さん気取りもせず、庭にある卓球台もごく普通に、その一般のお客人にも公平に使えるよう配慮しながら、誰彼となく話しかけ、遊んだ。


しかし、ピーク時は、それなりに大所帯になってしまうわけで、そこは「勝手知ったる他人の・・・」で、宿の手伝いをすることになる。それはそれで楽しく、一般客の皆さんもセルフサービスと思うのか、何の不平もいわずというより、むしろ、和気あいあいとなって、キャアキャア言いながら配膳をしたりした。ご飯のお代わりも自分自分で立っていくのだが、長机の奥に座っている方たちは出にくいので、みんなでご飯茶碗を回し回ししながら、ご飯をよそったりした。


あるとき

a「あれっ、これさっきの茶碗と違うぞ」

b「そうだったかな。記憶違いじゃない?」

すると、隣お隣の席にいた人が

c「そう言えば、私のは青っぽい茶碗だったのに、これ赤だわ」

a「だよね、でも、いいです。私は一向に構いませんよ」

c「えっ・・、まぁ、いいか」


こんな具合に山の一日はあっという間に過ぎっていった。






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学生村(20)-野うさぎの刺身 [学生村]

2017.6.26


今日は梅雨空だ。この梅雨が開けると激しい夏になるわけで、どんよりとした雲に覆われていることを感謝したい気持ちが多くなっている昨今のこの気持ち、年をとった証拠だとつくづく思う。



学生村には都合7~8年通っていた私だが、常連になるといいこともたまにはある。


それは秋風が吹き、蕎麦の花がちらほら咲き始め、宿には私のほかに二人しかいなくなり、夜の寒さも一段と身に沁みてきたころのことだった。


今で言うとジブエとか言うのだろうが、そのころはそんな格好のいい言い方ではなく・・・忘れた・・・・近所の方が鉄砲を片手に獲物を捕ったと言って昼の日中にやってきた。早速、さばいて食べようということになったらしく、宿屋のご主人に呼ばれた。運良くそのときは私とほかにもう一人しか宿にはいなかった。


私たちは呼ばれたので、まだまだ勉強の時間ではあったが、周りの静寂に何となく人恋しい気持ちも重なり、お茶でもご馳走してくれるのかと思い、すぐさま階段を駆け下りテーブルに着いた。


そこには刺身状態の肉切れが皿に乗っていた。その近所の方は一仕事を終えた感じで「じゃ、皆で食べてけろ・・[手(グー)][牡牛座][あせあせ(飛び散る汗)][水瓶座]〇×??・・」とお酒を馳走になったらしく、ほんのり赤ら顔をしつつ、詳細は不明だが、多分、「大丈夫、おいしいと思うよ」と言って帰っていった。相変わらず、ここの方言は全くわからない。 


私たちは何のお肉かも知らされず、見た目は桜肉のような、きれいなピンク色で柔らかそうであり、枚数はあまりなかったけれど、二人で3枚ずつ食べた。


私「うまい!なんだろう、この肉、?だよね」

もう一人「じゃないことは確かだね」

私「でも、馬はあまり見ないしね、でも、鉄砲持っていたよね」

もう一人「確かに。鉄砲持っていた」

私「ということは・・キジ、ハト、野ネズミ・・・魚じゃないね、生暖かいしね」

もう一人「わからん」

私「もしやウサギ・・・」

もう一人「かもね、でもうまい」


そうこう言っているうちの宿屋のご主人登場。

ご主人「そんだな、ウサギだ。うめいべぃ、やわらかし、あまいべ」


ニンニク醤油につけて食べた。初めてのウサギの刺身であった。

確かにうまい。牛の刺身よりさっぱり、しっかりの歯ごたえ感のあり、今でもしっかりと覚えているのだから、かなりうまかったに違いない。


継続は力なり・・・いやいや、継続は得なり。

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学生村(19)-大学の別荘 [学生村]

2017.6.23


学生村の我が宿の近くにシルバーの外装で塗られた別荘があった。今思い出しても格好いいと思うのだから、当時は最先端のデザインだったのかもしれない。どこの誰が住んでいるのかは皆目わからなかったのだが、噂によると、どこかの大学の卒業生の方々がお金 を出し合って別荘を建てたということであった。そこの住人も短い夏のほんの束の間に来るのと、冬の大雪のときにスキーに来ているらしく、ほとんど彼らと顔を合わせることはなかった。たまにその別荘の前を通ったとき、来ている気配を感じるぐらいの間柄であった。


しかし、山村荘住人の話題も少ないので、たまの気配に、我々はかなり敏感に反応をし、酒のつまみに、ああでもない、こうでもないと話を盛り上げるには格好の相手であった。


彼らは関西地方の住人で、大学を卒業後の同窓生か同級生で、別荘として、家族とか、仲間うちで使っているという話であった。その建物の土地は山村荘が貸したということであった。


我々もそんな別荘が持てればいいなとみんなで話したものであったが、それは話だけで終わってしまった。当然のごとく、我々はまだまだ人生の開発途上であり、一銭も稼いでいる者はいないわけで、大きな金を動かす話など、できるわけもなかった。


関西人は、どうも肌が合わないというと、関西人からは怒られそうだけど、やはり地域的に共通の話題もなかなか見つからず、一度だけ、山村荘のリビングで鉢合わせをすることがあったのだが、話題づくりも何となくぎこちなく、盛り上がる話もなかなか見つからずに別れたのを記憶している。



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学生村(18)-ないものねだり [学生村]

2017.6.12


学生のときはがあっても、それは一時的で深く考えることはない。うまく表現はできないのだけれど、後に引きずらないというのか、その場限りというのか、ウジウジしないというか・・・。



しかし、「食」に対する想いは、ないとわかれば、より欲しくなる。これは人間の性だから仕方がない。がむしゃらに欲しくなる。特に若いときは、それがより強くなるかもしれない。そのときはコーヒーだった。


喫茶店は1軒、私の泊まっている学生村から3つ上のバス停にある。でも、今日はやっているかどうかは行ってみなければわからない。もちろん電話はあるのだろうが、わかる術がない。バス停3つも上にあるわけで、通り道でもないし、今のようにスマフォでささっと検索ということもできず、バス賃をかけて、行ったはいいけどやっていないんじゃ話にならない。貧乏学生のくせにコーヒーは飲みたいが、バス賃は無駄にはできない。

そんな歯がゆい時代だから、仕方なく、喫茶店のコーヒーは封印


ネスカフェコーヒーを買うことになる。このコーヒーは、当時も今も大体同じ。たしか、真空製法とかいって、今で言うフリーズドライができたころかもしれない。多分、当時はかなり高い値段だったから、貧乏学生は当然ながら普通の安いコーヒーとなる。


インスタントコーヒーとチョコレートと「ゴールデンバット」か「スリーエイ」(煙草です)を買い求め、いそいそと帰り道を急ぐ。宿に着き、マイカップにコーヒーを入れ、ポットの湯を借り、注ぐ。


「う~~ん、これだ」、やっと息がつけた。大学生だから、まだ喫茶店歴はさほどはない。でも、その空気感、ちょっとだけ大人になったような気分と都会の雑踏を少し思い出した。


そうだ、松本に戻ったら、「邪道ラーメン」を食べ、「ジャルダン」で紅茶を飲もう---松本は残念ながらコーヒーではなく、ジャルダンの紅茶が定番のコースだ。


でも、今はもうない?--5~6年前の冬に行ったのだが、スキーシーズンであるにもかかわらず、松本駅周辺は閑散としていた。


「ジャルダン」は閉まっていたのか、閉店したのか、「邪道ラーメン」も記憶にない。


私好みのお店はみんな消えていってしまう。 

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学生村(17)-食料調達 [学生村]

2017.6.6


そんな辺鄙なところだからこそ、いいこともいっぱいある。


それは食材に対する敬愛かもしれない。私たち日本人は、多かれ少なかれというか、ほとんどの人が贅沢になっている。それは、今の世代(10代から30代)も過去の世代(50代~70代)も共通しているだろう。

賞味期限とか、製造年月日とか、みんな結構気にしている。もちろん悪いことではないし、当然のことなのだが、それを1日過ぎたから「捨てる」「廃棄する」という感覚は、外国人からは異常に写るかもしれない

食だけではない。生活全般にわたってもそうだろう。水と電気は生活の基準点。あれから6年、我々は当然のごとく使い始めた生活アイテム------

------そんなことは思ってもいなかった青春時代。私はバス停3つ下の番所に行った。小腹を満たす食材を求めに。

当時はコンビニはもちろんない。食料と生活雑貨はすべて小さなお店、雑貨店?、駄菓子屋?、ちょっと格好いい名前は思い浮かばないけど、そんなお店を探しに行った。煙草屋は煙草だけを置いていた。当時は専売といって、売るのにも許可で必要で、塩を売るのにも専売店でしか買えないものであった。専売だから、たばこだけでも、塩だけでも生計は立てられた


やっとたばこ屋に到着、煙草は後で買おう。まずはもっと下のお店に行って、食べるものを買おう。

何を買うかはお店の状態で決まる。こっちの都合は皆無だ。チョコレートがあればチョコレート。おせんべいがなければ五平餅か、米をたたいて、焼いて、醤油をつけたような「おせんべいもどき」みたいなもの。そんな買い物しかできなくても、それが唯一の楽しみであった。自然とお酒一滴、おせんべい一かけら大切になってくる。


お金はあっても買うものがない。そんな山の中の生活は不便な分、都会では味わえない楽しみが百倍にもなって返ってくる。





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学生村(16)-夜のコーヒーブレイク [学生村]

2017.5.10


皆が各自一日分の勉強が終わったころ、襖を「トントン」とたたく音が聞こえてきた。

舟木「どう?」(・・と手酌のジェスチャー)

私「はい・・・。」


舟木はまた別の部屋の襖をトントンとたたいた。「待ってました」「直ぐに行きます」「お酒、ありますよ」

等々の声が聞こえてくる。

3つの部屋の襖をたたき終えた彼は

「さて、深々と夜もシバレテきましたね。まずは一献」

7月末だというのに、夜は何となく涼しい。皆カーデガンといか、ウィンドブレイカーというか、何かを上に羽織っての参集だ。


皆、何となく充実というか、今もしっかり勉強していたという顔をして集まってくる。何となく、みんな頑張っていたんだ、私も、もうちょっと頑張らなくちゃと思う瞬間だ。


夜も12時を回っているので、話し声も思わず低くなってしまうが、それはそれ、また楽しい時間だ。


ここは高原の中なので、食材が思うほど潤沢ではない。みんなで持ち寄っても、そのときはウィスキーの角のハンディーボトル(名前は忘れた)しかなかった。あとはお摘みが少しと、日本酒が少しであった。日本酒はあまり好まなかったので、というよりは、土曜日とか、日曜日とか、送別会とか、一区切りついたときだけ飲むものだと暗黙の了解があり、平日の夜中は決まってウィスキーが中心であった。(日本酒は次の日に残るからね)


そのときも5人をウィスキーの小瓶を回し飲まなければいけなかった。

舟木「今日は山村荘シングルでいきましょう」と言い出した。

私「山村荘シングル?ってなんですか」

舟木「「このキャップに1杯を山村荘シングル」

私「なるほど」

舟木「これを大事にみんな飲んでね これ1本しかないからね」


と言って、まさに雀の涙というか、焼け石に水(酒)というか

でも、そんな心遣いがうれしくて、自分は酒はあまり好まないし、断ったほうがみんなの飲む分が増えるので好都合なのだが、断るのも座が白けるのもいただけないと思い飲むことにした。寒い夜には、キャップ1杯のウィスキーは美味であった。ツンツンと胃袋の中に入っていくのが、外の夜の寒さのシンシンと相まって心に染み割っていった。


今回、初参加の自分は、山の中の事情は何もわからないままで、何の差し入れも持っていかなかったので恐縮の限りだったが、昼間、宿の叔母さんから、突然、

「ねえ、ちょっと手伝ってがほしいよ。ここのつけもん、とってほしいが、桶がさ、3つあってさ、みんなナスとかさ、キューリとか、野沢菜とかさ、大根が入っているから、ちょこっとだけが、ワシラんとこにとってほしいんのよ」と頼まれていたのを思い出した。


そうだ、あそこに行けば、漬け物があるに違いないと思い。後先のことを考えない私は、一目散に漬け物小屋に走っていき、真っ黒の中、懐中電灯を頼りに、漬け物を出し、台所でそっと洗い、包丁を使って切って、皿に盛りつけて、みんなで食べてしまった。桶も人一人が入れるぐらいの大きさだったので、漬け物は大量にあり、1本ずつとってもわかるはずもないので、新参者なのに大胆にも拝借をしてしまった。


今なら大変なことになって「山村荘で漬け物泥棒!」とヤフーニュースに載ってしまったりしたかもしれないけれど、みんなもとりあえず、おいしい、おいしいと食べてくれたし、座も盛り上がってきたので、とりあえず、「よし」としたい。



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学生村(15)-コーヒーブレイク [学生村]

2017.5.8


学生村の生活は自然界の中にあり、清々しく、爽やかで、厚苦しい、蒸し風呂のような東京の生活とは全くかけ離れていて、盛夏でも運動をしない限り汗ばむこともなく、Tシャツ1枚で過ごせ、快適以外の何者でもなかった。


近くには今でいうところのコンビニ(小売店)はバス停で2つ下に行かないとないし、煙草もお菓子もお酒も、そこに行かないと買えない。煙草に至っては銘柄などは選べるわけもなく、いつ入荷されたかわからないような、東京でも滅多にお目にかかれないものが幾つかあった。お金もないことも手伝って、「ゴールデンバット」とか「ピース」の両切りとか、たしか「AAA(スリーA)?」、「わかば?」とかを買って、それも最後の最後まで吸い切っていたし、それでも捨てるところがあるからもったいないと言って、キセル持参で、それに差し込んで最後まで吸いきるのが当たり前であった。「ゴールデンバット」は30円だったと記憶している。


もちろん、喫茶店などもあるわけもなく、あったとしても、バス停で3つ上の〇×ヒュッテにしかなかったし、コーヒーを飲むためにバス停3つ乗ることはハードルが高く、地方のバス停1つは3キロ、4キロ先は当たり前だったから10キロ以上も先の話になる。


そんなセンセーショルな環境、コンビニもなければ、喫茶店も、マックも、スタバも、ココイチも、映画館もない環境で1カ月間を過ごすわけで、それを知らずに初めて長逗留をしようものなら、もう気が狂うほど愕然とするわけで、それを経験してきた2年目のベテランは、コーヒー、紅茶は東京が持ち込んできていた。もちろん、コーヒーはインスタントが通り相場であった。


そんな環境にいると、人間、何でもおいしく感じてくる。

皆、勉強に疲れてくる夕食後の就寝前になると、大体お誘いがくる。


それは飲み会でもあり、コーヒーブレイクでもあり、ほんの一握りの楽しみの一つとなった。主催者は、大体食材を多種少量を持っている2年目以降のベテランであった。




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学生村(14)-野糞の妙味 [学生村]

2017.4.30


世の中に人で野糞をした人はどれぐらいいるのだろうか。

それも野原のだだっ広いところで、立派とはとても言えないような自分の分身を隠そうにも隠せない場所での行為。

もちろん、したくてするわけではないが、草原で風は清々しく、足元はサンダル履きで、ちょっとだけ露草で濡れたりして、下半身に冷たさを感じ、ほどよく歩いたことにより腸も適度の刺激を受け、本屋に行くとなぜかトイレに行きたくなるような、そんな感覚になること------ありませんか?


ありますよね-----あるという前提でお話を進めます。



そのときも午後の散歩と買い物と称して、一人で裏道の吊り橋をとおり、牧場に抜け、番所まで歩いていたときのこと。

急激に催したくなり、はたと周りを見たと同時に、ポケットに手を突っ込んだ。



ない!・・・・・・・紙がない・・・・・・・ポケットにはセブンスターの煙草が1箱のみ。あとお金が少々。



大便をしたいときに紙がないことほど悩ましいことはないわけで、トイレという囲いの中で済まそうと算段なら、今ならウォシュレットがあるので、それで流し去れば、少々パンツが濡れたままでも事は済む。ウォシュレットのない時代は、どうしたんだろうか。私はその経験がないのでわからないけど、入って--座って--事を済ませ--その段になったとき、ハタと狼狽する--一応、こう見えても、そんな先見の明のないことはしたことがないからトントわからない。


しかし、ここは野原だ。誰もいないが、もない、囲いもなければ、紙らしい紙はお札だけ。でも、死んでも、これで拭いてはいけない。両親に教えられたわけでもないが、そのとき、そう思ったことは確か。あるのは芝のような雑草と煙草とライターとお金のみ----あなたなら、どうする~~、あなたなら、どうする~~と、いしだあゆみの歌が聞こえてきそうだ。


で拭き取る--近くに適度ないい按配の草がない。棒もないし、木もない。を拭いたら痛そうだし。

は手でむしってもわずかに手に残るだけ。とても、我が「校門」を拭けるわけもなく。


限界が近づいてくる。こういうときにダンボして留めておくことは不可能に近い。敵はもう突進してくることしか考えていないようだし。


・・・・・・・・・・あった。煙草のパッケージ。セブンスターのパラフィンをそっと剥がし、煙草もそっと芝生の上に並べ、中の星の図柄紙をゆっくりとそっと剥がし広げる。1回分だが、確実に拭けそう。


紙さえあれば、もう勝ったようなもの。辺りを見回し、誰もいないことを確認し、そっと座る。


出た--大漁です---失礼。


なんという快感、今まで味わったことのないような快感はどこまでも青く風はどこまでもさわやかで、鳥の声も聞こえ、遠く白い雲が流れている。あんな快感、あれが最初で最後です。


今は煙草は吸わないが、当時、煙草を吸っていてホントによかった。煙草も結構有益だとつくづく思ったという一席。


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学生村(13)-ほっと一息 [学生村]

2017.4.29


やっと見覚えのある小川の吊り橋が見えてきた。昼ならば透きとおった水、キラキラと太陽の光でまぶしい川面、鳥の声が見え聞こえする小川であったが、今はそんな風景もなく、ただただ闇夜となってしまった吊り橋を恐る恐る渡って家路に急ぐのみであった。

吊り橋を渡り切り、熊笹に腰まで覆われた小道を5分ほど登り切ったところが山村荘の裏手の入り口であり、今まで必死で、真っ暗になったら遭難するじゃないかと思ったりした自分と、お風呂の煙であろうか、夕飯の煮炊きをしている煙であろうか、そんな自分の思いとお構いなしに、のんびりと立ち上っているのを見るにつけ、遭難するんじゃないかと思った自分が都会っ子のぼんぼんに見え、妙に恥ずかしくなったりした。


宿の玄関ドアを引いた。力一杯引いた。このドアの立て付けはかなり悪く、いつも思いっきり引かないと開かないドアであった。


「あらっ、遅かったね。どこさ行ってなさった? 心配してったさ」

「うん、ただいま。腹へった」

「できてる、できてる。はよう、食べて、たくさんあるよ」

そんなのんびりした会話をほっとしながら宿屋の叔母さんと交わし、私は夕食の膳に加わった。


ほかの学生3人も、

「どこまで行っていたの」

「声かけてくれれば一緒に行ったのに。」

「もうやることもないし、今年最後の夏の思い出をつくりたいから、いつでも声かけてね」

怖い思いをしたことなど少しも気取られないよう平然と、そのうれしいお言葉を聞きながら夕食の膳についた。


本当に夕暮れ時の山道は一人で行くもんじゃない、肝を冷やした



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学生村(12)-牧場 [学生村]

2017.4.27


あるとき、一人で大滝に行き、息抜きをし、番所で蕎麦を食べ、獣道から牧場に出て山村荘に帰ろうとしたときのこと。8月15日も過ぎ、宿のお客も少しずつ減っていき、今は私以外に3人しか滞在者はいなかった。4人はそれぞれ帰宅後の東京の生活、現実に引き戻されることを考え始めたころのことだ。


昼食後の午後一番に山村荘を出てきたのだが、牧場に着いたころはもう夕日がまぶしく鈍い光となっていた

山の夕日が落ちるのは、都会のそれとはかなり時間的に違っており、都会では、夕日を感じてからも結構な時間が経った後に日が落ちるので、当然、その感覚で時間の経過を考えていた。しかし、山、それも山岳というべき高原での夕日の暮れる速度は、思いのほか速く、その割に山村荘への道のりは遠く、ましてや道なき道を自分流に歩いているわけで、この前、みんなと来たときは、確かこの辺を歩いたけど、遠回りしたんだ、だからもっと左側を通っていけば、多分、あの小川に、吊り橋に出るはずだ・・・・・。


と自分が方向音痴ということも忘れ、少し暗くなった牧場を、ホントは当てもなくなんだけれど、そう思っては迷子になると思い、少しの焦りと、ちょっと不安を隠す意味でも、こっちの道が近いに違いないと思い込んで一生懸命歩みを速めて歩いていった。


心の中に少し「焦り」という気持ちが湧いてきた。暗くなったら、どうしよう。真っ黒だと何も見えない。牧場には街灯があるわけもなく懐中電灯も持っていない。高原の夜は月明かりと星明りだけだということを思い出した。


ふと後ろを振り向いた、今来た道を戻るのは行くよりも可能かもしれない。そして表通りを通って山村荘に行ったほうが懸命かも・・・・・。


いろんな思いが交錯したが、一刻も速く結論を出さなければいけない。地べたもうっすらと暗くなってきた。「さっきまで西の太陽が見ていたのに、速いな」


さっき迷っていたことも忘れて、前よりももっと急いで前に進んでいた自分がいた。


10分だろうか、30分経ったのだろうか。全くわからないまま、しっとり暗くなくなった道を無言で歩いていた。


地面が見えなくなると同時に、遠くに目をやると、家の明かりがポツンポツンと灯り始め、何となくそれが頼りになるような、安心な気持ちになって歩いていた。最悪でも、あの明かりを頼りに歩けばいいんだ。


転がるように牧場を急いで歩いた。そこは柔らかい自然の芝生に覆われていて、日中みんなでワイワイやりながら転がりながら歩いてきた場所であった。


見覚えのある木の柵が見えてきた。それはここが牧場だと思わせる唯一のものであった。この柵を越えると、そこには見覚えのある小川があり、そこを渡ると山村荘であった。




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学生村(11)-牧場 [学生村]

2017.4.26


番所から山村荘に帰るコースは2つあった。一つは道路沿いに沿って歩くごく当たり前のなんの変哲もない詰まらない道だ。当時、そこは舗装もされておらず、されていたとしてもほんの10メートルが断続的にされているだけであり、あとは砂利道で、車が通る度に砂煙を立てて走り去っていく有り様であった。


もう一つは裏道のコースがあった。番所から直ぐ脇道に雑草の繁った獣道があった。そこを下っていくと、大きな野原に出た。後で気がついたことだが、ここは牧場であった。それもかなり大きな牧場で、霧縦高原の山の麓にかけての大きなものだった。牧場だから、当然のごとく牛が放牧されている。しかし、とてつもなく広いものだから、その牛と出会う確率はかなり低く、最初はそこが牧場であるということは全くわからなかった。


表通りの山道の喧騒とは裏腹に、人工的な音は皆無であった。のさえずり、のささやき、の流れ、木々が風でこすり合う音、時たま聞こえる牛の遠吠え。それに自分の足元の草に分け入る音。そこはどこまで行っても、どこまで行っても、誰に邪魔されるわけもなく、広い、気持ちのいい空間であり、山村荘のみんなは度々気分転換と称して散歩していた。


そこから山村荘まで歩いて行くわけだが、もちろん、農場だから道はない、少しだけ上りのような感覚だけを頼りに、勾配だけを頼りに宿を目掛けて歩いていくという、何とも心もとない散歩道であった。

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学生村(10)--番所 [学生村]

2017.4.25


大滝の深い谷をさっきとは逆に上り始める。いい加減息が荒くなったころ、ようやくバス通りに戻った。

額にうっすらと汗が出てきた。喉も少し乾いてきた。滝壺の水を喉を潤してきたのに、もう乾いていた。


朝食を食べ、食休みをした後、今日は一日休校と勝手に決め、大滝を見、番所で休憩というおなじみのコースだ。

みんなでワイワイ騒いでのハイキングだから、結構楽しい。みんなの笑い声が辺り一面に響きわたっていた。


番所--バンドコロと呼ぶ。きっと昔は番所(バンショ)と言って関所みたいな役割を果たしていたのだろう。箱庭のような高台から見ても、ここの地形は細く、上下は深い谷で挟まれており、ここを通るしか、新島々にも霧縦高原にも行けないようになっているところであった。


今は小さなそば屋が1軒あるだけで、取り立てて関所の遺跡があるわけではない。いつも、そこのそば屋でみんなで食するのが楽しみの一つであった。蕎麦は土地柄、地元産であり、濃厚なそば粉をこねて食べるそばがきは絶品であった。


慶応ボーイと弁護士さんと高校の先生はお酒を注文、そば粉を鍋の中でかき混ぜながらチビリチビリとおいしそうに飲んでいた。


近ごろ、そばがきはどういうふうにお店では出すのだろうか。そこのお店では、そば粉とガス台、鍋、割り箸が出てきて、鍋に水を入れ、そば粉を入れ、割っていない割り箸で力一杯かき混ぜるというセルフ形式のそばがきであった。自分好みの固さで食べられるのと、大学生になって初めて食べるという思いがあって、妙に新鮮であった。

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学生村(9)-大滝 [学生村]

2017.4.24


箱庭のような学生村を高いところから見たわけだが、山村荘の2つの下のバス停の近くに大滝という滝があった。短く暑い夏の間、よくそこの滝に遊びに行った。滝の高さは優に一山の高さがあった。ビルの高さにするとどれぐらいであろう。10階、15階、そんなものであろうか。水量もかなり多く、滝壺には近寄れない。滝壺に入り込んだら抜け出せないような、そんなすごい量の水量であった。音もすごく滝壺の近くではお互いの声も聞こえないくらいの腹にズンズンと響きわたる大きな音であった。滝壺の近くに近寄ると、その水しぶきは細かい霧となって滝壺の周りを漂い、深く深呼吸をすると胸の中にすぅーと冷たい冷気が入ってきた。


滝壺まではかなりの時間歩いて下りてくるのだが、炎天下、結構な汗をかきながら下りてくるので、心地よく、多少の疲労感も一気に飛ばし、リフレッシュするには最適の場所であった。



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学生村(8)--四季 [学生村]

2017.4.22


山村荘の周りは自然豊かないいところだ。四季の移ろいは言いようもなく美しい。特に春、新緑のころは魅力的だが、秋から冬への境目の寂しさは、春夏と対比することもあり、強烈であった。


1本の木しか見ないことが多い都会では、新緑といっても「新しく芽が出たな」ぐらいの感じで、余り感じるところもないのだが、それが何百本と何千本と広がりをもって目の前にあり、その一葉一葉が日に日に新しい赤子の手ような柔らかさとまぶしい緑を添えて開いていく様子を見るにつけ、それは絶句、感銘、驚き、筆舌し難い・・・どのような言葉を使えばいいのか。言葉には表せないほどの美しさであった


高原の四季のスピードは速く、短い。新緑のころが盛りを過ぎると短い春が訪れ、すぐに夏を迎える。早春、初夏の期間がかなり短い。都会では春だと言いながら、桜は1~2週間の時間があり、その後春を迎えるが、ここ霧縦高原ではやっと春だと思う間もなく暑い夏になると言っても過言ではない。だから、植物も一斉に咲き始める。すべての草花が短い夏を我先にと謳歌するように咲き始める。桜も標高が高いためか、オオヤマザクラとか、ミヤマザクラというちょっと違った種類が咲き乱れる。これもまたポツンポツンと咲いているが、それがまた可憐で美しい。

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学生村(7)-箱庭のごとく [学生村]

2017.4.21


叔父さん運転の車はどんどん坂を登っては下り、くねっては曲がリを繰り返した。あるときは、前方は雲というか、雲海しかなく、道は大きな坂を登っていくので前は全く見えず、車が空に飛び出していくのではないかと思わせるくらいぞっとしたが、その道は大きく左に曲がっているだけのことであった。車の後部座席に座っている私たちは、ジェットコースターに乗っているような、そんな山道の連続であった。


やっと車が止まった。

「ここさ、着いたぞ」---多分、叔父さんはそう言ったのだと思う。エンジンが止まったので、私たちは車を下りた。そこは車の退避帯が少し長くあり、峠の頂上に位置するところで、ここでユーターンをする人もいたり、休憩をしている人もいた。我々は無意識に道と空の境目に向かって歩いていった。道の際まで行き下を見下ろすと、そこは丸で箱庭のように小さな屋根があちこちに点在していた。街の両サイドには深い谷が見え、小川も見え、学校も見え、薬局も見えた。

叔父さんが言った「今までおんまえらがいたところさ。あすこが、ほんら、山村荘だ」よく目を凝らすと、確かに山村荘らしい3棟の屋根が見えた。卓球台と洗濯物、椎茸栽培の木組みも見えた、漬け物小屋も見えた。


さっきまで私たちが過ごしていた街が眼下にマッチ箱のように見えることは初めての体験であり、あんな小さなところで自分たちは生活をしているのかと思うと、何か不思議な感覚を覚えずにはいられなかった。

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学生村(6)-方言 [学生村]

2017.4.21


ある日、山村荘のご主人が車にみんな乗れと言う。急なことなので面食らったが、それは日頃の様子から何となく想像のつくことであった。慶応ボーイを初め、宿の夏期住人にとってそれは許されることであった。毎日皆予定を立てて勉強をしているが、それは自分の計画した計画であったので、いつでも修正は可能で、また一日遊んでしまって遅れをとっても、翌日、誰ともしゃべらず、食事も摂らず、猛烈に時間をつくって巻き返しをすることも十分に可能なくらい、時間の使い方は自分主導で変えられる、そんな贅沢な空間であった。


ここ長野の方言は、さほどわからぬものではなかった。自分の母親も父親も嫁も東北出身ということもあり、地方の方言には慣れていた。「おしょうしな」「おばんでやす」「なんでござった?」「あっぺした」「あやまんちょ」などなど、東京人の私にとっては、もはやこんなものしか思い出せないが、もっと趣のあるかわいい言葉もたくさんあったような気がする。長野の方言も、そんなにわからないものがないような気がしたし、松本あたりで使われている言葉も馴染みのあるものが多かった。


しかし、ここ霧縦高原、「山村荘の方言」は全くわからないものが多かった。叔母さんの話す言葉は何となく雰囲気というか、こんなことを言っているんだろうなぐらいの範囲で理解はできたが、叔父さんの言葉は全く理解不能であった。話す機会も叔母さんよりも少ないせいもあったが、とにかくわからない。全くわからない。同じ日本人として、こんなに通じ合えないことが不思議であった。そんな叔父さんと叔母さんの会話は、更に凄まじく、二人がよく夫婦喧嘩をするのだが、それはそれは激しいものに加えて、何でもめているかもわからないまま、ものすごい早口でまくし立てるのだけが理解できるという、そんな状態が延々と続いていて、私たちはただただ笑いを堪え、カウンター越しに体育座りのまま、二人の闘いが終わるのを見ていたものであった


スーパー林道をどんどん登っていった。スーパーとは名ばかりで、無舗装の砂利道、ガードレールもなく、道幅一車線片側はいつ崩れ大岩が落ちてきそうな山肌反対側は見下ろす勇気も出ないくらいの深い谷。運良く枝に引っかかれば助かるかもしれないが、引っかからなかったら谷下まで転がり落ちる。そんな山道を延々と叔父さんの車は登っていった。対向車が来ては、お互い今まで走ってきた道の記憶をたどりながらバックし、すれ違えるところまで行きつ戻りつしながらの走行であった。


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学生村(5)-オーナー家族 [学生村]

2017.4.20


もう一つの別棟が、24畳一間の家から50メーターぐらい離れたところにあった。そこは残念ながら滞在をしたことはなかったので、よくはわからないが、トイレと洗面所が付いていること以外、8畳二間ぐらいだったようだ。


山村荘の住人(オーナー)は4人家族。ほぼ叔母さん一人で毎日食事の支度をしていたように思う。私自身、学生の青二才だったし、家事の「か」の字もわからない人間だったので、今思い起こそうにも思い出すことはできないくらい記憶にはない。


叔父さんは多分、近くにある営林署か何かにお勤めだったようだ。時たま、我々をドライブに連れ出したり、近くでうさぎを捕ったと言っては、その刺身を食べさせてくれたり、椎茸の栽培方法を教えてくれたり、忙しい合間に私たちのために時間をつくってくれた。


子どもたちは小学生の長男(茂雄)と長女(加奈江)がいた。二人とも我々学生が来る夏が楽しみな様子で、よく一緒に遊んでいた。小学生3と5年生ということもあり、二人とも素直で、暇なときには母親の手伝いをしていた。

山村荘は旅館業をしているわけだが、決して羽振りがよいわけではなく、子どもたちも、母親も父親も都会の家族とはかけ離れた純朴さと真っ直ぐな気持ちをもって我々に接してくれたことを覚えている。


ここ霧縦高原は、標高2800メートル。夏は短く、7月初旬から9月中旬までが夏らしい夏であり、その前後は朝夕はストーブをつけなければ少し肌寒さを感じるほどであった。8月中旬からは辺り一面蕎麦畑が広がり、9月初旬には赤い茎と白い花を見ながら、新島々行きのバスに乗って帰っていくのが常であった。


山村荘の冬は雪深く、スキー場がバス停3つ上にあるものの、ほとんどスキー場界隈の旅館に吸い込まれてしまい、山村荘にまで流れてくる客は、よほどの物好きか、上の宿で予約のとれない客人ばかりであったため、決して潤沢な売上、豊かな生活にはなっていないようであった。

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学生村(4)-不思議な部屋 [学生村]

2017.4.20


山村荘には母屋のほかに別棟が2つあり、その一つに泊まったことがあった。


どういうわけか間取りは一部屋のみ、立ち机に電気スタンドは定番だが、ほかにトイレと風呂場があった。


その一部屋は24畳あり、ほかには何もない。あるのは押し入れと窓一つだけ。他には床の間もなければ、何もない。ただバーンと24畳があるだけだった。入った瞬間、どこに机を置けばいいのか、ちょっと迷った。窓は部屋の右角に1間幅の両開き窓が1つ。普通だったら窓際に置いて一件落着なのだが、この部屋はいかんせん24畳あるわけで、窓際に机を置き、椅子に座ると、自分の後ろには23畳もの空間があり、妙に落ち着かない。後ろに誰かがいそうで、机に向かっていても、ふと後ろを振り返りたくなるような、そんな恐怖的な衝動にかられてしまう部屋であった。


24畳ということは、横4畳、縦3畳の中に畳が24枚入っているわけで、どういう理由があって、この部屋をつくったのか、皆目検討がつかない部屋であった。


自分の落ち着くべきところを探し求めて、机を部屋の中央に置いてみた。


いかん、全然落ち着かん。


それでは、玄関の上り框のところに客人と向き合う形で机を置いてみた。これなら、誰かが来てもすぐにわかるし、恐怖的衝動にもかられないだろうと思ったが、これも変だ。どう考えても変だ。部屋が狭いわけではなく、後ろに23畳あるわけだし、第一、誰かが来ても机が邪魔をすることになり、机をすり抜けて部屋に上がることになる。何ともこれも奇妙で滑稽だ。それに裸電球1つ、それも40ワットの乳白色。電気スタンドのコンセントは窓枠の下にしかない。仕方なく、やはり窓の真ん前に机を置くことにした。


窓からの景色は絶景であった。「女体が仰向けに寝ているような山形をしていてそそられるぞ」とご紹介をいただいたのは、あの慶応ボーイだった。ちょっど舟木一夫を思い出させる風貌をしていて、あっという間に「舟木さん」というあだ名がついてしまった。


真夏によくある怪談話は、学生村では全く馴染まず、怖がりな私にとってはもっけの幸いであった。明かりは24畳の真ん中からつり下がっている裸電球1つと電気スタンドだけテレビもなければ、ラジオもなく、長い夜をひたすら読書か、勉強かをするだけの生活であった。


夜も更けてきて寝ることになった。さて、どこに布団を敷いたものか。部屋の隅? 部屋の真ん中? 机の傍? 玄関の近く? 


困った。ほんとに困った。こんなにも布団を敷くのに悩んだことはなかった。ここも仕方なく、妥当であろう部屋の片隅から残りの23畳を見つつ寝ることにした。


そういえば、ここは玄関の鍵もない。都会のような物騒なこともないのだろうが、都会から来たばかりの人間でさえも、それが何の違和感もなく受け入れられてしまう、そんな不思議な場所が学生村であった。


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学生村(3)-山村荘の間取り [学生村]

2017.4.19

民宿の名前は山村荘。何でヤマムラソウなんだろう。オーナーはヤマムラではない。地番にヤマムラと付くものは何もない。当時からヒュッテとか、ロッジとか横文字の名前も多く。もう少し洒落た名前を付ければ、もう少し客も来るだろうに

山村荘は3つの棟で成り立っていて、母屋と別棟が2つ。母屋は二階建て、別棟はすべて平屋だ。いつごろ建てたのだろうか。決して新しさはなかったが、風雪にも堪えて建っているわけで古くは見えるが、それなりに頑丈な建物なんだと思う。母屋の二階はすべて和室で3畳、4.5畳、6畳、6畳、6畳と一階の食堂いう間取りだった。

各部屋には布団と立ち机と電気スタンドがセットで置いてあり、学生はいつでも勉強だけはできる環境にあった。朝食は8時、昼食は12時、夕食は6時と決められていた。もちろん、三々五々に集まって食事をするわけで、夜遅くまで勉強をしていたりとか、飲み耽っていたりとかして、9時ごろ起きてくる奴もいて、それは適宜対応してくれていて助かった者もたくさんいた。

食事の内容は朝と夕は和食昼は麺類かパン食だった。皆お代わりは自由で、何かひもじい思いをした記憶は全くない。いつもうまい、今日は焼き肉だ、ハンバーグだと言ってみんなでわいわい食べていた。

しかし、そこは遊びで滞在しているわけではないので、無言での不文律というか、決まりではないのだけれど、食後、ぼんやりとテレビを見続けている者はおらず、食べ終わった食器を台所のカウンターに出し、「ごちそうさん」と一言主人の奥さんに言葉をかけ、各々の部屋に戻っていった。


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