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大雨の恐怖 [新聞記事]

2019.7.2


こんにちは。

この1週間、九州は大雨が続く。都会に住んでいると豪雨の音が恐怖に変わる瞬間などわかるはずもないが、一度だけ、その経験をしたことがある。

学生時代、長野の学生村に行っていたときのこと。9月に入り、学生村の学生は三々五々、それぞれの生活拠点に戻り、それぞれの生活を始めたころ、私は前年に大学を卒業したものの就職もせず、ある資格試験獲得にために通信教育をしていた。だから9月になったからといって早々に都会に引き上げなければいけない理由は別段なかった。今で言えばフリーター、プータロウと他人からは見えていたかもしれない。しかも、どこかにアルバイトをしに出かけることもなく、ただ、家で過ごしているわけだから、他人から見れば、「こいつは怪しいね」と思われていたに違いない。まさに引きこもり状態だった。

しかし、同級生はみんな就職活動をし就職を決めていたものの、自分だけポツネンと学生でもなく、学生でもある状態にいたことに焦りを覚えることはあまりなかった。それは若さというか、向こう見ずというか、恐れを知らないというか、今考えても浅知恵であったなとつくづく思う。

9月の高原の夏はあっという間に過ぎ去っていく。日中の太陽の日差しは、9月にはそれなりの力があるものの、朝夕はストーブがないと体がシンシンと冷えてくる。学生村の建て付けは悪く、その隙間風は夏はほどほどに都合よかったが、9月の冷気には全くの非力であった。窓の隙間にろうそくを立てても、10秒も持たずに消え去ってしまう強烈な風の進入が絶えず続いた。

一人去り、また一人去り、二人が最後まで残った。私と彼であった。彼はK大の立派な大学院生であり、文学を志していた。将来は教授にでもなりそうな風貌を持っている方であった。

9月8日、彼が私の部屋にやってきた。いつも夜になると寒いせいもあり,二人でウィスキーをチビリチビリやることが多かった。

彼「こんばんは。いっぱいやりませんか?寒いからね。」

私「待ってました。寒いですね。ありがとうございます。」

と言って座布団を差し出した。

二人の会話はいつも丁寧語に近いものであった。友人ではあったものの、有名私立大学で目上ということもあり、私としてはタメ語は使えないと心の奥底に「タメ語」はしまっていた。

彼は心を刻むように、いつも話をした。そのときも自分の生活のこと、友達のこと、大学のことなどを刻々と話をした。

最後に彼がこう言った。

彼「君はいつまでいるの? 僕は明日帰ることにした。」

私「そうですか。寂しくなるな。では、来年ですね。」

彼「そうだね。多分、来年も来られるは思うけど・・・」

そんな会話を最後に、彼は山を下りていった。

一人になった。

宿にはもちろん、宿の主人と女将さんと子どもたちがいるのだが、

一人になったその宿は、何の音もしない静寂の世界であった。たまに音がすると、

それは皆自分が発する音でしかなかった。

9月の高原は雨が多い。その夜も夜半から雨足が強くなった。トタン屋根のその宿に、

これでもかと言うぐらいに激しく雨が降り続けた。その音はパタパタ・・・からバタバタ・・・・となり、最後はガリガリガリバタバタバタ・・・というすさまじい音に変わった。

部屋の木枠の窓は3枚のガラスで1つの引き戸になり、それが2枚で一対(1間)の窓をつくっていた。下2枚が曇りガラス、上1枚が透きガラスであった。その上の透きガラスを見上げたとき、激しい光が目の中に飛び込んできた。思わず、目がしらを押さえた。目は真っ暗になった。まともに目に光が入ってしまったようだった。「ズド~~ン」間髪を入れず聞こえてきた。

ゆっくりと目を開けた。目の前の机上のゼットライトがぼんやりと見えた。

「すごい雷だ」独り言を言った。

高原の雷は光と音がかなり近い。都会で聞く雷は光ってから音が鳴るまでの時間が結構ある。その時間がないといっても2~3秒はある。しかし、ここの雷は「光った」と思った瞬間にド~~ンと来る。それと同時に窓ガラスは粉々になるのではないかと思うくらい震える。例え、自分が震えていたとしても、それを隠すのにはお釣りが来るくらい大きな震えが窓ガラスを揺らし続け、五臓六腑に響きわたる。地響き以上のその響きは心に刺さり続けた。

そこの宿は高原の中でも、台地にある。裏山があるわけでもないし、川が近くのあるわけでもなく、山崩れ、洪水の心配は皆無であったものの、私は、その恐怖には勝てず、翌日には山を後にした。


九州では、そんな思いをしている方が多いのではないかと思う。特に夜の雨は怖い。あの不気味な音と光と音・・・・。大雨のことから、ふと、学生村の恐怖を思い出した。

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