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原風景と最期の晩餐 [生活]

2019.5.17


こんにちは。

今の季節、直射日光はかなり暑く、外回りの人たちは既に辟易している違いない。

これは確実にオゾンが減少しているから仕方がないことだが、こんなことは40年前にはあり得ないことだった。

今も後ろからの太陽が後頭部から首後ろにかけてジリジリと容赦なく当たってきた。その太陽光は心地よいというには程遠く、ヒリヒリと痛みを伴うものであった。愚鈍な老人が海水浴に行ったのはもう遠い過去の話だが、当時1時間は砂浜に寝ころんでいるのが普通で「やっと少し焼けた」とか、「おまえのほうが焼けたな」と競っていたものだが、今、砂浜に寝ころんでいたら、火傷を負ってひとたまりもないだろう。

人には皆ふるさとがある。「帰ってみたいふるさと」もあれば、「絶対に帰りたくないふるさと」もある。

自分にも当然ふるさとはあるのだが、東京の下町で生まれた私にとっては、そのふるさとは決して安らげる場所ではない。だから、どちらかというと「帰りたくないふるさと」となる。両親が世話になっている寺がその下町にあることもあり、年に何回かは行くのだが、その様変わり用は大変なもので、小学校、中学校と通っていた学校は残ってはいるものの、私の住んでいた空襲で焼け残った3階建てのボロアパート(原宿の同潤会アパートと同期)も既になく、眼前にはスカイツリーがそびえ建っている。直線では3キロぐらい離れているのだが、これだけ高い建物(634m)が目の前にあると安らぐどころか、ウルトラマンとかゴジラにでも睨まれているようで少しも安堵しない。

人間、最期は心の原風景を求めるというが、自分にとって心の原風景はどこなんだろうと思う。探そうとすること自体、既にペケだろう。これは問われれば速攻答えられるのが普通だろう。そんな風景を持っている人はうらやましい。強いて上げれば、学生村のあった長野だろうか。ふるさとではないのはちょっと悲しい。

先日、家人と「最期の晩餐」は何が食べたいかという話になった。しかし、本当の最期だと自覚できれば幸せだが、私のような欲深い人間は、これが最期だとは、きっとわからないんだろう。それはそれで幸せと言えば幸せかもしれぬ。

私の最期の晩餐は、「あけぼの」か「伊勢屋」のお稲荷さん、コンビニではない「糸昆布の具のおにぎり」、「梅干しのおにぎり」、そして「サバラン」が食べたい・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・やはりかなり強欲だ。

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