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でっかいことをやりたい、認めてもらいたいという心 [生活]

2018.12.3


こんばんは。

昨日門扉の会社にメールをした。相手は2社。いずれも商売熱心で直ぐに返事がきた。1社は名古屋の会社。名古屋だから、当然ながらメールでの対応。返事も返したら、すかさず返事があった。

もう一社は20キロぐらい離れたところにある会社。こちらの会社は電話がかかってきた。倉庫が拙宅の近くで、近くを通るから是非寄りたいとのこと。

今、お会いし、現場を見、カタログを置いていった。

費用的は、とんでもない額なのでハナからあきらめていたのだが、既製品では納得できず、ひょっとしたらひょっとするかも・・・・という下心も含めメールをした。

予算はパンフレット価格の半分しかない我が身としては、甚だ恐縮の限りだが、あとは頼んでいる外溝屋さんと直接交渉をしていただき、値段を決定すればいい。もちろん、私に対する価格が無理ということで断ってもオッケイということで外溝屋さんと連絡をとってもらうことになった。

はてさて、どういう結果になるのか・・・・・。


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今日ケアマネが来た。月に一度のミーティングの日。正確には母親の様子見。

だが、いつも雑談をして終わっていく。最近、お互いの身近に起こったおもしろい話とか、政治の話、介護事業の話等々。

そこで今日盛り上がった話は、SNSとか、世の中で起こる事件、その原因はどこにあるのかという話になった。それは単純に目立ちたい、大きなことをやりたいという当事者の話を聞くと、ちょっと違うんじゃないの。大きなことって人殺しをすることじゃないだろう。確かに新聞には掲載されるけど、君がやりたかった大きなことって殺めることはないはず。いいこと、立派なこと、みんなに感謝されることをして新聞に載りたいと本当は思っていたはず。だけど身近で短時間に結果を出したいがために、とんでもないことを仕出かしてしまった。

SNSで動画をとる。マックでとんでもないことをしている写真を投稿したり、高速道路を猛スピードで走ってそれを投稿する。「すごいスピードだね。」「格好いいね」「私も乗ってみたい」「誰がこの車持っているんだろう」・・・・・・・と思われたい?これがでっかいこと? 果たしてそんなことは君の言う認められるということなのか?


世の中のためになること、立派なこと、感謝されることをする人との違いはどこにあるのか。

初めの一歩はそんなに変わってはいない。目立ちたい。大きなことをやりたい。認めてもらいたいという気持ちは誰にでもある。ただ、それを思慮深く、よく考えて、地道にやって事を成就させるか、短絡的に、多くを考えず結果を出そうとするかの違いだと思う。


でっかいことで他人から認められることをやるためには、世の中の為になること、人の為になること。これ以外にはあり得ない。人に与えられる時間は皆平等で、貧民の環境に置かれていようと、富豪の環境に甘んじていようと、時間が最も大切なアイテムであることを忘れてはいけない。


その「時間」を与えられている我々は、平等に同じ土俵におり、より深く気を張るか否かで結果が違ってくる。年齢に縛りのない若い人たちは、より何が大事かを深く深く考えていかなければいけない。


それはロートルである自分にとってもだ。生きてきたからには、それなりの理由があるはず。そんなのわからないと思う人は、それに気がついていないだけのこと。気がつかないまま次の世界に行ってしまうだけのこと。気がつかないことがいいことが、悪いことはわからないけれど、それを思い続けることは、人間として一番大事なことではないかと思った。


相変わらず、今日も固い話だ。

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