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雨戸を開けたら誰かが何かを食べている音が聞こえてきた(3) [我が家]

2017.4.28


庭に下りを傍まで行った。池には父が買ってきた金魚が3匹いるだけで何も変わりはない。車の近くに行ったが何も変わったことはない。垣根の近くに行った。隣の家庭菜園にも別段変わったところはなかった。


おかしい・・・何の音だろう。その間、音はずっと続いていた。「シャキ ショキ シャキ ショキ・・・」


隣地のツバキの垣根に近づいていった。ツバキの花も満開に近く、余り好きではなかったが、それはそれで赤いきれいな蕾、咲き切りそうな花がたくさん付いていた。自分がなぜツバキが嫌いかというと、咲き終わっても、まだ気にとどまっているところであった。それは茶色に黄ばんで、決して美しいものではなかった。桜のように潔くぱっと散る、そんな花が好きであった。


もちろん、大好きなもその隣に大木となり、咲き終わってはしまったけれど、また来年もお願いしますと願わずにはいられなかった。


音はまだ続いていた。音自体が大きくなったような気がした。



愕然とした。こんな経験、日本中でどのぐらい人がしたことがあるのだろうか。結構いる・・・のかな。


ツバキの葉っぱにたくさんの毛虫が、それも葉脈に沿って付いており、一見しただけでは見逃してしまいそうなぐらいきれいに整列して、ツバキの葉を食べているのであった


ツバキは全部で15本あった。その木の葉っぱすべてに毛虫が葉脈に沿ってべったりとくっついて葉をむしゃくしゃ食べている音が、あの「シャキ ショキ シャキ ショキ・・・」の音であり、ただただ唖然とするのみであった。


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雨戸を開けたら誰かが何かを食べている音が聞こえてきた(2) [我が家]

2017.4.28
何の音?
シャキ、ショキ、シャキ、ショキ・・・」こんな音だったと思う。確かにいつも聞いたことはない音だった。しかし、誰もいない。目の前は我が家の庭があるだけ。1畳ほどのがあり、その向こう側には隣地との境界線に植えたツバキがあるだけ。その隣地は空き地だ。
右に顔を向けた。駐車場があるだけで何もない。左に顔を向けると、垣根があり、その向こうは父が週末、趣味でやっている家庭菜園があるだけだった。
何だろう? この音、まだ聞こえる「シャキ ショキ シャキ ショキ・・・・」
窓を閉めた。庭に下りて調べる時間も興味もなかったので、それ以上気にとめずに窓を閉めた。その音は聞こえなくなり、私の記憶からは消えていった。
翌日、また同じ状態が続いた。前日よりもはっきり聞こえる。空耳ではない。これはもう放っておけないような気になってきた。朝食を済ませ、庭に下りた

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雨戸を開けたら誰かが何かを食べている音が聞こえてきた。 [我が家]

2017.4.26


それは遠い昔。私がようやく22歳になり、大学を卒業、就職もせずに家にこもって資格試験の勉強をしていたころのお話。今で言えば、引きこもり? プータロウ? 寄生虫?と他人からヤユされそうな感じかもしれない。 


6月、露の真っ盛り、この日も朝露の中に家がすっぽりと包み込まれており、じっとりした、そんな感覚を覚えるほど、あたり一面は霧に包まれていた


当時、隣家との距離は半径50メートルは離れており、南側100メートル先に道路があり、その間には木々が茂り、北側50メートルに隣家、西側は雑木林、東側は100メートル手前は何もなく、しかし宅地に整備されているわけでもなく、ただ野原であり、その100メートル先には高い木々が立っているだけ。あとは東南方向に50メートルぐらい離れて1軒、東北方面に1軒あるだけ。


東京からは36キロとそんなに離れてはいないのだけれど、結構な自然の中にあった街であった。


朝、雨戸を開けた。ほとんど人工的な物音などしない静寂の中、私の雨戸の開ける音だけが響きわたっていた。いつものように、そっと耳を澄ませ、深呼吸をする。気持ちがいい、何より静かなのが一番いい

ふと耳にいつもの自然音以外の音が聞こえてきた。



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学生村(12)-牧場 [学生村]

2017.4.27


あるとき、一人で大滝に行き、息抜きをし、番所で蕎麦を食べ、獣道から牧場に出て山村荘に帰ろうとしたときのこと。8月15日も過ぎ、宿のお客も少しずつ減っていき、今は私以外に3人しか滞在者はいなかった。4人はそれぞれ帰宅後の東京の生活、現実に引き戻されることを考え始めたころのことだ。


昼食後の午後一番に山村荘を出てきたのだが、牧場に着いたころはもう夕日がまぶしくなっていた

山の夕日が落ちるのは、都会のそれとはかなり時間的に違っており、都会では、夕日を感じてからも結構な時間が経った後に日が落ちるので、当然、その感覚で時間の経過を考えていた。しかし、山、それも山岳というべき高原での夕日の暮れる速度は、思いのほか速く、その割に山村荘への道のりは遠く、ましてや道なき道を、自分流に歩いているわけで、この前、みんなと来たときは、確かこの辺を歩いたけど、遠回りしたんだ、だからもっと左側を通っていけば、多分、あの小川に吊り橋に出るはずだ・・・・・。


と自分が方向音痴ということも忘れ、少し暗くなった牧場を、ホントは当てもなくなんだけれど、そう思っては迷子になると思い、少しの焦りと、ちょっと不安を隠す意味でも、こっちの道が近いに違いないと思い込んで一生懸命歩みを速めて歩いていった。


心の中に少し「焦り」という気持ちが湧いてきた。暗くなったら、どうしよう。真っ黒だと何も見えない。牧場には街灯があるわけもなく懐中電灯も持っていない。


ふと後ろを振り向いた、今来た道を戻るのは行くよりも可能かもしれない。そして表通りを通って山村荘に行ったほうが懸命かも・・・・・。


いろんな思いが交錯したが、一刻も速く結論を出さなければいけない。地べたもうっすらと暗くなってきた。「さっきまで西の太陽が見ていたのに、速いな」


さっき迷っていたことも忘れて、前よりももっと急いで前に進んでいた自分がいた。


10分だろうか、30分経ったのだろうか。全くわからないまま、しっとり暗くなくなった道を無言で歩いていた。


地面が見えなくなると同時に、遠くに目をやると、家の明かりがポツンポツンと灯り始め、何となくそれが頼りになるような、安心な気持ちになって歩いていた。最悪でも、あの明かりを頼りに歩けばいいんだ。


転がるように牧場を急いで歩いた。そこは柔らかい自然の芝生に覆われていて、日中みんなでワイワイやりながら転がりながら歩いてきた場所であった。


見覚えのある木の柵が見えてきた。それはここが牧場だと思わせる唯一のものであった。この柵を越えると、そこには見覚えのある小川があり、そこを渡ると山村荘であった。




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母の話(19) [母のこと]

2017.4.27


昨日病院の帰り、電車の中で電話があった。介護事業者からの電話。

介護「こんばんは、今よろしいですか」

私「電車の中ですが、聞くだけ聞きます」

介護「実は、お母様がトイレ介助中、転んでしまいまして、その後、様子を見ていたのですが、異常はなかったんですが、もしその後、異常がありましたら申し訳ないので、お電話をしました。何かありましたら、何でもいたしますので、よろしくお願いします」


という電話。母は、もう自力で立つことは不可能。ちょっと目を離す気を許した瞬間に転んでしまうわけで、そのちょっとした間に転んでしまったんだと思う。これは不可抗力なので仕方がないのだけれど、人員不足で介護日数を減らしてほしいと言ってきた事業者なので、それなりの介護者の気持ちの問題も若干あったのかもしれないが、それは言ってみても仕方のないこと。


その後、恐る恐る母の家に行った。

排泄があったので、おむつ交換をしたついでに背中、腰、足、腕を見たが異常は見られず、ほっと安堵した。

老人の場合は、後日(2~3日とか、1週間後)に肌が紫になったり、晴れ上がったり、発熱したりで、いろいろなことが時間差をもってあわられるので、今後2週間ぐらいは注意をしなければいけない。


毎日がヒヤヒヤだ。

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久々にいいお医者さんに出会いました。 [生活]

2017.4.27


昨日、肩痛の治療に品川に行ってきた。家内が膝の治療でかれこれ2~3年通っている病院。決して大きくもきれいでもないが、救急搬送にも積極的で表彰状なんかも病院に飾ってあった。


ペインクリニックと漢方と併せ技でやっているようで、私自身も整形、整体、鍼は、この肩痛を直せそうもないので、思い切って行くことにした。


老先生っぽい方で---といっても、最近は私とほとんど同じ年齢か、上だとしてもほんの少し先輩の方になってしまった----とても丁寧に診ていただいた。


そっけない先生に大分慣らされていることもあり、触診もしないだろうと思っていたが


老先生「セーターを脱いでください」

私「はい」

老先生「いや、そのシャツもね」

私「はっ、はい」

老先生「どこが痛むの」

私「肘を先に上に上げると痛みます」

老先生「ここ?」

私「いえ」

老先生「じゃ、ここ?」

私「曲げないと手は痛みなく上がります」



今までの先生は触診もしない。大したことはないという感じで「ロキソン出しておきますから、しばらく様子を診てください」で終わり。



この老先生はちょっと違った。


老先生「そうか、やはり、腱の断絶はないね 断絶したら自分じゃ上げられないからね」

私「そうなんですか」

老先生「筋肉が張りついているような、そんな感じかな」

私「そうですか」

老先生「これに効く漢方が1つだけあるんだ。それを処方してみようか。でも、漢方は効く人と効かない人は半々だからね そうしたら、また別の治療になるけど、時間もかかるよ」

私「直るんだったら、先生、何回でも来ますよ」

老先生「鍼もやったの?」

私「はい。2回ほど」(ホントは1回だけ)

私「でも、お金が高くてやめました」

老先生「幾らよ」

私「1回目で11000円です」

老先生「そりゃ、高い。随分とるね」


と言いながらも、ずっと触診を続け、私の表情を見ながら

老先生「これも痛そうだね」

私「ええ」

老先生「ここもだね」


老先生「ここまで来るのに時間、どのぐらいかかる?随分遠いようだけど」

私「1時間30分ぐらいです」

老先生「じゃ、私のほうがかかるな」

私「先生、どちらから?」

老先生「池袋の先から」

私「そうですか」


老先生「仕事何しているの?」

私「速記が生業です」

老先生「えっ?」

私「会議なんかの議事録をつくるやつです。厚労省の医道審議会とか」

老先生「あれは大変な仕事だね。急がされるようだしね」


それから横になってお腹の周りの触診。


老先生「前の病院でレントゲンの写真もらってくるのできる?」

私「ちょっと、ハードルが高いですね」

老先生「そうだよね。じゃ、もう一回レントゲンとCTと、最近血液検査やった?」

私「やっていません」

老先生「じゃ、健康診断のつもりでやっておこうか」

私「お願いします」


以上で40分ぐらい。3分診療に慣れていた自分としては、久々にお医者様といろいろと話をした。わざわざ時間をかけて来た甲斐があったというもの。気持ちも大分楽になった。 


医業とは「気」の「病」を直すこと

お忘れになっているお医者さんが多いのは、とても残念とつくづく思った一日であった。

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母の話(18) [母のこと]

2017.4.26


ついに母は歩けなくなった。今までは歩いてお手洗いまで連れていくのだが、後ろから支えて何とか歩けていたが、ここに来て、それは無理になってきた。私も肩にガタがきて、瞬時のときに支えることに不安を覚えるようになった。残念だが、それが現実だ。


今まで、それを受け入れることには抵抗があって、介護の方にも、何とかトイレには歩いて連れていってほしいと希望していたのだが・・・。


しかし、そのこだわりも捨てると楽になることに気がついてきた。母親も棒のようになってしまった足を引きずって歩くことは、多分、嫌なんだろう、意を決しなければならないことなんだろうと思ってきた。自分の得て勝手な判断で、母を引きずり回すのは、この辺でやめにしよう。


そのほうがお互いに楽に日々を送れる。そんな楽な介護は、するほう、されるほう、どちらにも必要なんだろうなと思うようになってきた。

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学生村(11)-牧場 [学生村]

2017.4.26


番所から山村荘に帰るコースは2つあった。一つは道路沿いに沿って歩くごく当たり前のなんの変哲もない詰まらない道だ。当時、そこは舗装もされておらず、されていたとしてもほんの10メートルが断続的にされているだけであり、あとは砂利道で、車が通る度に砂煙を立てて走り去っていく有り様であった。


もう一つは裏道のコースがあった。番所から直ぐ脇道に雑草の繁った獣道があった。そこを下っていくと、大きな野原に出た。後で気がついたことだが、ここは牧場であった。それもかなり大きな牧場で、霧縦高原の山の麓にかけての大きなものだった。牧場だから、当然のごとく牛が放牧されている。しかし、とてつもなく広いものだから、その牛と出会う確率はかなり低く、最初はそこが牧場であるということは全くわからなかった。


表通りの山道の喧騒とは裏腹に、人工的な音は皆無であった。のさえずり、のささやき、の流れ、木々が風でこすり合う音、時たま聞こえる牛の遠吠え。それに自分の足元の草に分け入る音。そこはどこまで行っても、どこまで行っても、誰に邪魔されるわけもなく、広い、気持ちのいい空間であり、山村荘のみんなは度々気分転換と称して散歩していた。


そこから山村荘まで歩いて行くわけだが、もちろん、農場だから道はない、少しだけ上りのような感覚だけを頼りに、勾配だけを頼りに宿を目掛けて歩いていくという、何とも心もとない散歩道であった。

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バラ-カミキリムシとの格闘(3) [バラ]

2017.4.25


ほかの木も当たってみた。2本見事に根っこに穴が開いていた。1本は「淡雪」、それはかぐわしいいい香りが10メートルも手前から香ってくる木でお気に入りであった。しかし、半分を切り落とし、薬剤をタップリ注入した。


もう一本は我が家の最古株「ピース」、黄色の大輪で蕾から咲き終わるまで七変化するのと、つき合いが長いので結構なお気に入りの一本であった。これもカミキリムシにやられていた。多分、根っこの茎の状態から見て、新雪より前に食われていたのだと思えた。しかし、枯れない。多分、人間で言うところの動脈には達していなかったから死なずに済んだのだと思う。根元の茎はかなり方々から穴が開いており、殺虫剤も穴が大きいため、こっちからもあっちからも注入することができる状態であった。


どうりで、昨年より、「淡雪」も「ピース」も花の付きが悪いと思っていたところだった。やはり、カミキリムシにやられると花の付きが極端に悪くなる。春先の今頃、卵が幼虫に代わるころ、木の根元の木屑に注意しておかなければいけない。今年も戦々恐々、毎日、バラの様子を注意深く見るのが日課だ。

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バラ-カミキリムシとの格闘(2) [バラ]

2017.4.25

そして、6年目の初夏。今年もみんな元気に咲き始めたなと思ったころ、「新雪」というバラに異変が表れてきた。ツルバラである新雪は、パーゴラに所狭しと絡みつき、その花の数は何十、何百と咲き乱れていたのだが、7月の終わりから8月にかけて急速にその勢力が弱り始めた。突然のことだったし、8月ぐらいから葉っぱは薄茶色になり始める木もちらほら出てくるので、そうは気にしていなかった。ところが8月も終わりになるころには、あっと言う間に新雪が枯れ始めた。鈍な私も流石に8月に葉っぱが落ちるのはおかしいと思い、あれこれ調べてみたが、皆目わからない日々が続き、9月に入った。新雪は完全に枯れ木となってしまった。

愕然としつつも、仕方なく、新雪を根っこから切り落とした

やっと原因がわかった。そればカミキリムシであった。そういえば、よく見かけたと奥方が言い始めた。検索すると、確かにカミキリムシはバラには強敵と書いてある。以前、私も一度だけ見たことがあったが、黄金虫じゃないけれど、昆虫君的に好意的に見て採取することもなかった。

バラ園の講習会でも、そんなことは一言も触れられなかった。アブラムシとか、黒点病とか、うどんこ病は、木を枯らすことはないわけで、殺虫剤を蒔けばオッケイだし、最悪、翌年になれば何とかなるという代物であった。しかし、カミキリムシは放っておくと枯れてしまい、二度とあの美しさを味わうことはできないものであった。


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バラ-カミキリムシとの格闘 [バラ]

2017.4.24

我が家には7~8年前ぐらいからバラを植え始めた。何でバラかと言われると困るのだが、別に気取っているわけではない。バラが好きだという単純な理由からかもしれない。

きれいなバラには刺があると言われるとおり、刺が多い。 それにも増して手間暇がかかる、恐ろしくかかる。

ここで自分なりに理由を付けておいた。何でバラを植えたのか?

子どもがいなくなった分、手間のかからなくなった分、バラに手間をかけよう。何となく理由になっている。そういうことにしよう。それにきれいだ。頗るきれいだ。

3~5年は調子がよかった。よく育ってよく咲いた満開になると道路に花びらがたくさん舞ってしまい、周り近所にえらく迷惑になると思い、毎日毎日、掃除の日々であった。咲けば咲いたで周りに迷惑を考えなければいけない。やはり雀の涙ほどの庭にはプレッシャーがいつも付きまとうことになった。近所の方もよく見に来ていただいたし、お隣さんには葉っぱがよく落ちてしまうので、お詫びと言っては釣り合わないと言われそうだが、片手いっぱい抱えるほど差し上げたりもした。そのぐらい満開となる花の量は多く、まさに丹精込めてやった甲斐があったというものだった。


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学生村(10)--番所 [学生村]

2017.4.25


大滝の深い谷をさっきとは逆に上り始める。いい加減息が荒くなったころ、ようやくバス通りに戻った。

額にうっすらと汗が出てきた。喉も少し乾いてきた。滝壺の水を喉を潤してきたのに、もう乾いていた。


朝食を食べ、食休みをした後、今日は一日休校と勝手に決め、大滝を見、番所で休憩というおなじみのコースだ。

みんなでワイワイ騒いでのハイキングだから、結構楽しい。みんなの笑い声が辺り一面に響きわたっていた。


番所--バンドコロと呼ぶ。きっと昔は番所(バンショ)と言って関所みたいな役割を果たしていたのだろう。箱庭のような高台から見ても、ここの地形は細く、上下は深い谷で挟まれており、ここを通るしか、新島々にも霧縦高原にも行けないようになっているところであった。


今は小さなそば屋が1軒あるだけで、取り立てて関所の遺跡があるわけではない。いつも、そこのそば屋でみんなで食するのが楽しみの一つであった。蕎麦は土地柄、地元産であり、濃厚なそば粉をこねて食べるそばがきは絶品であった。


慶応ボーイと弁護士さんと高校の先生はお酒を注文、そば粉を鍋の中でかき混ぜながらチビリチビリとおいしそうに飲んでいた。


近ごろ、そばがきはどういうふうにお店では出すのだろうか。そこのお店では、そば粉とガス台、鍋、割り箸が出てきて、鍋に水を入れ、そば粉を入れ、割っていない割り箸で力一杯かき混ぜるというセルフ形式のそばがきであった。自分好みの固さで食べられるのと、大学生になって初めて食べるという思いがあって、妙に新鮮であった。

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FX の現実を知ったリアルな場面(2) [マネー]

2017.4.25


素人は往々にして、「買うと下がる」、「売ると上がる」、「私の後ろで見ているようだ」「相手は自分の手の内を見ようとしているから絶対指値は入れないんだ」とよくおっしゃる。確かに素人の私たちには相場観がないのかもしれない。それは玄人でも同じこと。


今日、北朝鮮が動くのか、それに対してアメリカはどう出るのか。それに対する相場はどう反応するのか。

それは誰にもわからない、でしょう? 


東日本大震災のときだって、円は下がらずに上がったんです。日本のピンチなのに円が買われた。これは事実です。




自分の思いどおりに相場は動かないのは当たり前。動いたとしても、それは偶然の代物であり、その人の相場のターニングポイントにおいては、決定的な間違いとなることが多いということ。


たった1回しか売り買いをしない人にとっては相場の奥義は関係ない。

何回か続けて、何十回か続けて、何カ月か続けて、何年も続けて相場に携わっている方々について言うと、それは大きなターニングポイントとなる。


あのとき100万のマイナスで切っておけば、あのとき100万のプラスで切っておけばと「タラレバ」の話みたいで恐縮だけれども、1回やってできるものは10回続けてやり遂げられる。いわんや100回やってもきっとできる。1回でもできないことは、100回もやったら訳がわからなくなって大損をする。


きちっと損を覚悟で指値をする。これ以上反対に動いたら、確実に切る。そしてリセットする。そして、再チャレンジする。これが相場の王道だということを、あのテレビは教えてくれた。


自分のサクセスストーリーを持っていなければ、それは、かなり危険な道を進むことになることを忘れてはいけない。

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FX の現実を知ったリアルな場面 [マネー]

2017.4.25


 大分前の話だが、FXの投資家の話をテレビでやっていた。たしかNHKだったと思う。ポジションを持ったまま画面を離れてお茶を飲みに行ったか、トイレに行ったか、食事に行ったか、正確なところは忘れたが、ある程度相場が落ち着いたからであろうか、その人は席を離れた。


もちろん、その方は私たちのような素人ではなく、立派な玄人筋の方。動かすお金もまとまったものであったらしい。ほんの5分か10分の間の出来事だった。席に戻ってみると相場は反転。かなりの額の損失を出した。多分、彼は意に反した損切りをしたのだろう。そのときの彼の顔がズームインされた。今までの顔とは全く違った顔がそこにあり、損失の大きさが想像できる出来事であった。


そうか、プロでさえもそうなんだ。だから、素人の私が損切りをしないことはもってのほうなんだ。決して恥ずかしいことはないんだと思い知らされた。

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米ぬかは最強の栄養源 [バラ]

2017.4.24


今日はヘルパーさんと看護士さんの来る日だ。母は食欲もよく、排便の介助もしてもらって、低位ではあるけれども、一応、生きていた。2~3日分の食材を調達し、夕方のヘルパーさんにバトンタッチとなる。


バラの話は以前したようなしないような・・・。時期的新芽も出揃い、蕾も大分付いてきた。黒点病の薬を蒔いても少しずつ黒点病は見られるようになる。本当にしつこい病気だ。黒点病が出る前までのバラ庭は好きだ。もちろん、バラの花が咲いたときも気持ちよいが、その前の緑もとても好きだ。


肥料は毎年大体同じものをやることにしている。今年も米ぬか、腐葉土、馬糞堆肥、あとカルシウム関係(ちょっと名前を忘れた)、これをほどほど同量を混ぜ、外側の根っこ近くに穴を掘り埋め込む。去年は自分が風邪をこじらせ、花粉症も混ざり、肥料をじっくり蒔くこともできなかったので、今年は、昨年の秋ごろから1か月に1回ぐらい、いや、もっと多いかもしれないが蒔くようにした。


そのためか、三つ葉がえらく大きい葉っぱを付けていた。大体、1シーズン放っておくぐらいの大きさに、たった2か月ぐらいで成長してしまった。しかもこの早春の時期にである。ちょっとやり過ぎたかなと思うくらいだが、栄養状態をよくすることも害虫対策だ、植物も体の内側から免疫力アップをしなければいけない、人間の栄養摂取と同じだ的な発言を目にしたこともあり、今年はそれに倣うことにした。栄養を付ければ大病になりにくいと信じたわけだ。


昨日、米ぬかを精米所でとってきた。前回、精米ついでに米ぬかを持って帰るつもりだったが、精米後の米を車に運んでいる間に、別の人間にあっという間に持っていかれてしまった。


なんということ!図々しいほどにも程があるとはこのこと。


なので、今日は前のいた方が米ぬかは必要としないのを確認してから、米ぬか部屋に頭を突っ込んでもらってきた。


今日はこれをブレンドして、しっかりと蒔く。



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学生村(9)-大滝 [学生村]

2017.4.24


箱庭のような学生村を高いところから見たわけだが、山村荘の2つの下のバス停の近くに大滝という滝があった。短く暑い夏の間、よくそこの滝に遊びに行った。滝の高さは優に一山の高さがあった。ビルの高さにするとどれぐらいであろう。10階、15階、そんなものであろうか。水量もかなり多く、滝壺には近寄れない。滝壺に入り込んだら抜け出せないような、そんなすごい量の水量であった。音もすごく滝壺の近くではお互いの声も聞こえないくらいの腹にズンズンと響きわたる大きな音であった。滝壺の近くに近寄ると、その水しぶきは細かい霧となって滝壺の周りを漂い、深く深呼吸をすると胸の中にすぅーと冷たい冷気が入ってきた。


滝壺まではかなりの時間歩いて下りてくるのだが、炎天下、結構な汗をかきながら下りてくるので、心地よく、多少の疲労感も一気に飛ばし、リフレッシュするには最適の場所であった。



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本当に介護体制は使い切れているのか [医療・介護]

2017.4.23


介護五者連合を考えてほしい。


医者-看護士-ケアマネ-介護事業所-ヘルパー????




もう少し時代を前に戻してみよう。大体14~5年前ぐらいでいい。その時代は、まだまだ介護体制は整っておらず、ケアマネもいたにはいたが、スムーズに機能していたわけではなかった。介護認定申請時にはお世話になった記憶はあるが、それ以降、訪問医、介護所はすべて自分で探した。現在のように、ケアマネが中間に入って、訪問医や介護所を探したりは進んではしてもらえなかった。こんな言い方をすると語弊があるといけないので、別な言い方をすると、今は介護所に直接電話を入れても、必ず事業所のほうで「ケアマネはどなたでしょうか。」「ケアマネから電話を入れていただくようお願いしてください。」と必ず言ってくるようになっている。


また、「訪問医--ヘルパー」このラインの結びつきが皆無なことも、ヘルパーに対するモチベーションを下げる原因になっていることもあるようで、ヘルパーの脱落が介護現場での一番の問題になっていることも事実。


失礼ながらヘルパーの質も十人十色であることは確かであり、訪問医から見れば、「看護士とは話すことはあるが、ヘルパーさんとはね・・・」という言葉がないことはない。もちろん、現場サイドからすれば、一々ヘルパーさんと話なんかしてる時間的余裕などないとも言われそうだ。


しかし、医者-看護士-ケアマネ-ヘルパーで現場は回っていることは確かであって、その一つも欠けては、この制度は成立しない。


もう一つ、看護士⇔ケアマネとの連携も今一つなことも事実。


一足飛びに医者⇔ヘルパーとはいかないであろうから、まず看護士⇔ケアマネ、看護士⇔ヘルパーとの連携を密にしてから、その次へと進める。この方法がいいのではなかろうか。


いろいろ書いたが、最終的には医師からヘルパーまでの連携がなされている本当の意味での介護総合病院(器は要らないけど)構想が必要なのだと思っている。

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介護は「点」を「面」に変えなければいけないと思う [医療・介護]

2017.4.22


現在、介護事業者は被介護者の要請によって動いている。つまり、ご要望のあるお客様宅に伺うわけだが、その場所はてんでんばらばらだ。つまり、A町に行った後、B町に行って、C町に行き、そしてA町に戻るといった按配だ。


A町とB町は5キロ離れていて、B町とC町は6キロ離れている。そしてC町とA町は8キロ離れている。もちろん、もっと離れている場合もあるし、もっと近くの場合もある。つまり「」で動いているのではなく、「」で動いている点に大きな問題がある。


もう一つ問題がある。介護ヘルパーが被介護者宅(A、B、C)を訪問するわけだが、その移動時間は全く給与には反映されていない現実があるということ。つまり、A、B、Cの経由に5時間拘束されたとしても、ヘルパーにはA、B、Cの3人の介護分しか給与は払われない。移動時間は全く加味されていないということ。今、辛うじてヘルパー人員は足りているが、こんな不利益的な扱いが続けば、あと4~5年の経過とともに顕著になる被介護者の増大、それに反してのヘルパーらの減少が続き、現場はパンク状態になってしまう可能性が高い。今でも、介護事業所の撤退、辞退、遅延が相次いでおり、介護所としては綱渡りの様相を呈していることは確かだ。


つまり、介護現場の「点」での活動を「面」での活動に変更することにより、無駄な移動時間をなくし、被介護者とヘルパー両者の負担軽減を図ることが一番の課題ではないだろうか。


被介護者の負担軽減とは、被介護までの待機時間を減らすこと、介護単価の高騰を抑えること、最低訪問回数の制限をなくすことなどがあり、ヘルパーの負担軽減とは、移動時間の労働時間算入である。もちろん、介護事業所における内部留保の軽減、ヘルパーの処遇改善を検討することも大事な改善項目だと思う。


現在、介護事業所はすべて「」での行動であり、「」での行動を模索しているところはない。「多業種連携」という言葉をよく介護現場では使っているが、これが「産学官連携」のように、言葉倒れに終わらないことを切に希望したい。


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学生村(8)--四季 [学生村]

2017.4.22


山村荘の周りは自然豊かないいところだ。四季の移ろいは言いようもなく美しい。特に春、新緑のころは魅力的だが、秋から冬への境目の寂しさは、春夏と対比することもあり、強烈であった。


1本の木しか見ないことが多い都会では、新緑といっても「新しく芽が出たな」ぐらいの感じで、余り感じるところもないのだが、それが何百本と何千本と広がりをもって目の前にあり、その一葉一葉が日に日に新しい赤子の手ような柔らかさとまぶしい緑を添えて開いていく様子を見るにつけ、それは絶句、感銘、驚き、筆舌し難い・・・どのような言葉を使えばいいのか。言葉には表せないほどの美しさであった


高原の四季のスピードは速く、短い。新緑のころが盛りを過ぎると短い春が訪れ、すぐに夏を迎える。早春、初夏の期間がかなり短い。都会では春だと言いながら、桜は1~2週間の時間があり、その後春を迎えるが、ここ霧縦高原ではやっと春だと思う間もなく暑い夏になると言っても過言ではない。だから、植物も一斉に咲き始める。すべての草花が短い夏を我先にと謳歌するように咲き始める。桜も標高が高いためか、オオヤマザクラとか、ミヤマザクラというちょっと違った種類が咲き乱れる。これもまたポツンポツンと咲いているが、それがまた可憐で美しい。

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セミナーに行ってきたけど・・・。 [マネー]

2017.4.22


銀行のセミナーに行ってきた。何かいい知恵、情報、自分の判断の善し悪し等々、背中を押してくれるものがあればいいと思っていたが・・・。


ホテルの一室で行われたセミナー、資料、飲み物、講師。1時間半ほど。


セミナー参加の皆さんは、それぞれこのセミナーの内容に現在触れているか、将来確実に触れるであろう事柄について知りたいわけで、それなりの知識と経験を持った方々だと推察


しかし、講師の話

1)よく聞き取れない。(もちろん、マイクを使ってはいたけど、滑舌が悪い為か)

2)資料中心の説明に終始(提出資料を時間内に終わらせることを主眼においたためか、通り一遍の説明で要領を得ない、浅掘りの既知の情報が多かった。)

3)セミナー参加者に興味、スリルを与える話し方ではなかった。

4)質問コーナーもなかった。

5)セミナー後の個別相談もできなかった。(30分ほど時間をつくってほしいと言ったが、後日連絡と言われてしまった。)

6)話がおもしろくない


これは銀行のマスターベーションではなかったのか。講師陣は4名。多分、都度交代で講師を務めるのだと思うが、それは講師陣のマスターベーション。しゃべる講師は、それですっきりするだろうが、それを聞く我々参加者はたまったものではない。つまり、上手い講師に当たった参加者はラッキーだが、下手な講師に当たった参加者は、時間と交通費をドブに捨てたようなもの。ここは自行内で講師審査を行って、うまい講師を厳選してほしいと思った。今回のセミナーは後者であった。


後日、電話が来ることになったが、果たして、欲しい情報は得られるのかどうか



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学生村(7)-箱庭のごとく [学生村]

2017.4.21


叔父さん運転の車はどんどん坂を登っては下り、くねっては曲がリを繰り返した。あるときは、前方は雲というか、雲海しかなく、道は大きな坂を登っていくので前は全く見えず、車が空に飛び出していくのではないかと思わせるくらいぞっとしたが、その道は大きく左に曲がっているだけのことであった。車の後部座席に座っている私たちは、ジェットコースターに乗っているような、そんな山道の連続であった。


やっと車が止まった。

「ここさ、着いたぞ」---多分、叔父さんはそう言ったのだと思う。エンジンが止まったので、私たちは車を下りた。そこは車の退避帯が少し長くあり、峠の頂上に位置するところで、ここでユーターンをする人もいたり、休憩をしている人もいた。我々は無意識に道と空の境目に向かって歩いていった。道の際まで行き下を見下ろすと、そこは丸で箱庭のように小さな屋根があちこちに点在していた。街の両サイドには深い谷が見え、小川も見え、学校も見え、薬局も見えた。

叔父さんが言った「今までおんまえらがいたところさ。あすこが、ほんら、山村荘だ」よく目を凝らすと、確かに山村荘らしい3棟の屋根が見えた。卓球台と洗濯物、椎茸栽培の木組みも見えた、漬け物小屋も見えた。


さっきまで私たちが過ごしていた街が眼下にマッチ箱のように見えることは初めての体験であり、あんな小さなところで自分たちは生活をしているのかと思うと、何か不思議な感覚を覚えずにはいられなかった。

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素人が往々に起こすミス(4) [マネー]

2017.4.21


今日は天気が悪い。ストーブをつけてしまった。

昨日バラの薬を散布したので、今日はいいだろうと思っているが、黒点病が少々出始めていた。



「素人が往々に起こす(犯す)ミス」で前回、追保金という形ではどうかという話を書いた。

その場合、自分の思いどおりに価格が上昇してくれれば問題はない。しかし、思い通りにいかないのが相場。自分の頭が1万個集まって考えているのなら、それは一卵性双生児のごとくすべて一致するわけだが、1万個の頭があれば、1万個の考え、1万個の事情があるわけで、そう安々と思いどおりにはいかないのが相場


「いや、今まですべて思いどおりにいっている。おれはFXに長けているのかも。何言ってんの、このジジイ」」と思っている方。


気をつけたほうがいいです。


今まで思いどおりだったのは、ほんの偶然の産物。その偶然は100回やって100回当たってしまう。これがFX。理論を後付けにしたとしても、それは屁理屈という理屈であって、決して正しい判断とは言い切れない。(屁理屈をつけるだけ、まだマシと思うけど)


今、チャートを見て、買う-上がる、売る--下がる、確かに成功。

短期では成功する。これは皆同じです。


短期で売買するときに注意しなければいけないのは、を見てを見られなくなるということ。

を見て、ポジションをとり、を見て売買を開始するけれども、それを繰り返していくうちにが見えなくなる。それがトレードというもの。


だから、自分で決め事をつくる。貫徹すべき鉄則をつくる。紙に書いてモニターの前に張っておくといい

3回売買をしたら2時間離れるとか、10回売買をしたら1日空けるとか、失敗したときは瞬時にPCを離れるなどなど、自分でルールを決める。それが一番いい。


もちろん、損切り値は忘れずに入れる。これは当然のこと。

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学生村(6)-方言 [学生村]

2017.4.21


ある日、山村荘のご主人が車にみんな乗れと言う。急なことなので面食らったが、それは日頃の様子から何となく想像のつくことであった。慶応ボーイを初め、宿の夏期住人にとってそれは許されることであった。毎日皆予定を立てて勉強をしているが、それは自分の計画した計画であったので、いつでも修正は可能で、また一日遊んでしまって遅れをとっても、翌日、誰ともしゃべらず、食事も摂らず、猛烈に時間をつくって巻き返しをすることも十分に可能なくらい、時間の使い方は自分主導で変えられる、そんな贅沢な空間であった。


ここ長野の方言は、さほどわからぬものではなかった。自分の母親も父親も嫁も東北出身ということもあり、地方の方言には慣れていた。「おしょうしな」「おばんでやす」「なんでござった?」「あっぺした」「あやまんちょ」などなど、東京人の私にとっては、もはやこんなものしか思い出せないが、もっと趣のあるかわいい言葉もたくさんあったような気がする。長野の方言も、そんなにわからないものがないような気がしたし、松本あたりで使われている言葉も馴染みのあるものが多かった。


しかし、ここ霧縦高原、「山村荘の方言」は全くわからないものが多かった。叔母さんの話す言葉は何となく雰囲気というか、こんなことを言っているんだろうなぐらいの範囲で理解はできたが、叔父さんの言葉は全く理解不能であった。話す機会も叔母さんよりも少ないせいもあったが、とにかくわからない。全くわからない。同じ日本人として、こんなに通じ合えないことが不思議であった。そんな叔父さんと叔母さんの会話は、更に凄まじく、二人がよく夫婦喧嘩をするのだが、それはそれは激しいものに加えて、何でもめているかもわからないまま、ものすごい早口でまくし立てるのだけが理解できるという、そんな状態が延々と続いていて、私たちはただただ笑いを堪え、カウンター越しに体育座りのまま、二人の闘いが終わるのを見ていたものであった


スーパー林道をどんどん登っていった。スーパーとは名ばかりで、無舗装の砂利道、ガードレールもなく、道幅一車線片側はいつ崩れ大岩が落ちてきそうな山肌反対側は見下ろす勇気も出ないくらいの深い谷。運良く枝に引っかかれば助かるかもしれないが、引っかからなかったら谷下まで転がり落ちる。そんな山道を延々と叔父さんの車は登っていった。対向車が来ては、お互い今まで走ってきた道の記憶をたどりながらバックし、すれ違えるところまで行きつ戻りつしながらの走行であった。


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学生村(5)-オーナー家族 [学生村]

2017.4.20


もう一つの別棟が、24畳一間の家から50メーターぐらい離れたところにあった。そこは残念ながら滞在をしたことはなかったので、よくはわからないが、トイレと洗面所が付いていること以外、8畳二間ぐらいだったようだ。


山村荘の住人(オーナー)は4人家族。ほぼ叔母さん一人で毎日食事の支度をしていたように思う。私自身、学生の青二才だったし、家事の「か」の字もわからない人間だったので、今思い起こそうにも思い出すことはできないくらい記憶にはない。


叔父さんは多分、近くにある営林署か何かにお勤めだったようだ。時たま、我々をドライブに連れ出したり、近くでうさぎを捕ったと言っては、その刺身を食べさせてくれたり、椎茸の栽培方法を教えてくれたり、忙しい合間に私たちのために時間をつくってくれた。


子どもたちは小学生の長男(茂雄)と長女(加奈江)がいた。二人とも我々学生が来る夏が楽しみな様子で、よく一緒に遊んでいた。小学生3と5年生ということもあり、二人とも素直で、暇なときには母親の手伝いをしていた。

山村荘は旅館業をしているわけだが、決して羽振りがよいわけではなく、子どもたちも、母親も父親も都会の家族とはかけ離れた純朴さと真っ直ぐな気持ちをもって我々に接してくれたことを覚えている。


ここ霧縦高原は、標高2800メートル。夏は短く、7月初旬から9月中旬までが夏らしい夏であり、その前後は朝夕はストーブをつけなければ少し肌寒さを感じるほどであった。8月中旬からは辺り一面蕎麦畑が広がり、9月初旬には赤い茎と白い花を見ながら、新島々行きのバスに乗って帰っていくのが常であった。


山村荘の冬は雪深く、スキー場がバス停3つ上にあるものの、ほとんどスキー場界隈の旅館に吸い込まれてしまい、山村荘にまで流れてくる客は、よほどの物好きか、上の宿で予約のとれない客人ばかりであったため、決して潤沢な売上、豊かな生活にはなっていないようであった。

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学生村(4)-不思議な部屋 [学生村]

2017.4.20


山村荘には母屋のほかに別棟が2つあり、その一つに泊まったことがあった。


どういうわけか間取りは一部屋のみ、立ち机に電気スタンドは定番だが、ほかにトイレと風呂場があった。


その一部屋は24畳あり、ほかには何もない。あるのは押し入れと窓一つだけ。他には床の間もなければ、何もない。ただバーンと24畳があるだけだった。入った瞬間、どこに机を置けばいいのか、ちょっと迷った。窓は部屋の右角に1間幅の両開き窓が1つ。普通だったら窓際に置いて一件落着なのだが、この部屋はいかんせん24畳あるわけで、窓際に机を置き、椅子に座ると、自分の後ろには23畳もの空間があり、妙に落ち着かない。後ろに誰かがいそうで、机に向かっていても、ふと後ろを振り返りたくなるような、そんな恐怖的な衝動にかられてしまう部屋であった。


24畳ということは、横4畳、縦3畳の中に畳が24枚入っているわけで、どういう理由があって、この部屋をつくったのか、皆目検討がつかない部屋であった。


自分の落ち着くべきところを探し求めて、机を部屋の中央に置いてみた。


いかん、全然落ち着かん。


それでは、玄関の上り框のところに客人と向き合う形で机を置いてみた。これなら、誰かが来てもすぐにわかるし、恐怖的衝動にもかられないだろうと思ったが、これも変だ。どう考えても変だ。部屋が狭いわけではなく、後ろに23畳あるわけだし、第一、誰かが来ても机が邪魔をすることになり、机をすり抜けて部屋に上がることになる。何ともこれも奇妙で滑稽だ。それに裸電球1つ、それも40ワットの乳白色。電気スタンドのコンセントは窓枠の下にしかない。仕方なく、やはり窓の真ん前に机を置くことにした。


窓からの景色は絶景であった。「女体が仰向けに寝ているような山形をしていてそそられるぞ」とご紹介をいただいたのは、あの慶応ボーイだった。ちょっど舟木一夫を思い出させる風貌をしていて、あっという間に「舟木さん」というあだ名がついてしまった。


真夏によくある怪談話は、学生村では全く馴染まず、怖がりな私にとってはもっけの幸いであった。明かりは24畳の真ん中からつり下がっている裸電球1つと電気スタンドだけテレビもなければ、ラジオもなく、長い夜をひたすら読書か、勉強かをするだけの生活であった。


夜も更けてきて寝ることになった。さて、どこに布団を敷いたものか。部屋の隅? 部屋の真ん中? 机の傍? 玄関の近く? 


困った。ほんとに困った。こんなにも布団を敷くのに悩んだことはなかった。ここも仕方なく、妥当であろう部屋の片隅から残りの23畳を見つつ寝ることにした。


そういえば、ここは玄関の鍵もない。都会のような物騒なこともないのだろうが、都会から来たばかりの人間でさえも、それが何の違和感もなく受け入れられてしまう、そんな不思議な場所が学生村であった。


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またまた驚きの明細書 [生活]

2017.4.20

詰まらぬ愚痴を朝から話すのもなんですが、書いておかないと忘れてしまうので書いておくにします。

先週の日曜日、チェーン店薬局で母の処方箋を出した。

処方箋の有効期限は4日しかないので、金曜日にもらったものは月曜日で切れる。日曜日に手が空いたので、急ぎ薬局へ。しかしながら、薬の在庫がない。火曜日以降に届くとのことだったので、昨日、取りにいった。

明細を見たら、「えっ」夜間・休日等加算が付いている。確かに休日に行ったけど、加算されるとは一言も言われなかった。40点だから、大体400円。これの1割負担だから40円だ。3割だったら120円。

金額の多寡ではないが、その販売姿勢がカチンとくる。

・処方箋を出したときに休日加算が付くことを言わないこと。

・その薬は、その薬局に在庫がなかったこと

不親切だよね。一言、「今日出すと休日加算付いちゃいますよ。」と言ってほしかったな。やはり、医は算術なんですね。今後、気をつけよう。


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不覚にも朝ドラで涙した [生活]

201.4.19

朝ドラの「ひょっ子」を見ている。

これは決してオノロケではない。話に納得感を持ってもらうために書くのをお許しあれ。

実は有村カスミ氏に、当時20歳だった我妻がそっくりであった。そっくりというのは言い過ぎだが、彼女の顔をもう少し丸々にした感じで、髪形は全く一緒、今日着ていたワンピースなどは全く同じものを着ていたりして、聞くところによると、高校の制服も全く一緒らしい。以前、「あまちゃん」に出ていたころから似ているなと思っていたのだが、奥方は彼女に対して、どのような感触を持っているのかがわからなかったので、言いそびれていたのだが、CMとか、今回の朝ドラでの役回りを見るにつけ、益々その感が強くなってきた。ご本人も彼女にはそんなに悪い感じも持っていないことを確認してからは、「似ているね~、似てるね」と言い続けている。

あのバス、あれもそっくりと言っていた。外装も内装もそっくりで、多分、そこから借り受けてきたものなのかどうか、確かめる方法はないのだが、外側の色合いは全くそのままであるそうだ。

制服、私服、顔だち、髪形、バスが皆皆一緒か似ている--------そんな思いがあるものだから、初回から涙が頬を伝ってしまった。これはまずい!と思っても致し方がない。彼女と若き日の奥方と重ね合わせてしまうわけで、甚だみっともないと思いつつも、今日も朝ドラに釘付けになってしまった。

若き日の奥方が今であってくれれば、いつ死んでもいいよ。


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学生村(3)-山村荘の間取り [学生村]

2017.4.19

民宿の名前は山村荘。何でヤマムラソウなんだろう。オーナーはヤマムラではない。地番にヤマムラと付くものは何もない。当時からヒュッテとか、ロッジとか横文字の名前も多く。もう少し洒落た名前を付ければ、もう少し客も来るだろうに

山村荘は3つの棟で成り立っていて、母屋と別棟が2つ。母屋は二階建て、別棟はすべて平屋だ。いつごろ建てたのだろうか。決して新しさはなかったが、風雪にも堪えて建っているわけで古くは見えるが、それなりに頑丈な建物なんだと思う。母屋の二階はすべて和室で3畳、4.5畳、6畳、6畳、6畳と一階の食堂いう間取りだった。

各部屋には布団と立ち机と電気スタンドがセットで置いてあり、学生はいつでも勉強だけはできる環境にあった。朝食は8時、昼食は12時、夕食は6時と決められていた。もちろん、三々五々に集まって食事をするわけで、夜遅くまで勉強をしていたりとか、飲み耽っていたりとかして、9時ごろ起きてくる奴もいて、それは適宜対応してくれていて助かった者もたくさんいた。

食事の内容は朝と夕は和食昼は麺類かパン食だった。皆お代わりは自由で、何かひもじい思いをした記憶は全くない。いつもうまい、今日は焼き肉だ、ハンバーグだと言ってみんなでわいわい食べていた。

しかし、そこは遊びで滞在しているわけではないので、無言での不文律というか、決まりではないのだけれど、食後、ぼんやりとテレビを見続けている者はおらず、食べ終わった食器を台所のカウンターに出し、「ごちそうさん」と一言主人の奥さんに言葉をかけ、各々の部屋に戻っていった。


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学生村(2)-メンバー [学生村]

2017.4.19

学生村といっても普通の民宿であって、今の「きれい、清潔」には遠く及ばないけれど、大自然と民宿の人たちの純朴さがあり、都会育ちの我々にとっては、ただただ物珍しく、「ひぇ~~」というようなおったまげの毎日で楽しいばかりの日々であった。

学生村には、いろんな人たちが集まってきた。もちろん、私のような1か月も滞在する人は少なく、長くても1~2週間、もちろん、普通の旅行者で1泊して直ぐに別の地に旅立つ一見の客もいた。

私のほかに2人の長逗留の同士がいた。一人は弁護士資格をとろうと頑張っている4つ上の中央大学の大学生、もう一人は高校の先生だった。ほかの1~2週間の短期逗留者には2人の慶応ボーイ、東大生、パチンコで旅費を稼いでいると豪語するギャンブラー大学生南東大学の学生二人組、地元の高校生などなど。今でも少しの交流はあるものの、大半は街で会ってもわからないくらいの風貌になって日々生活をしているのだろうか。

みんなの顔を浮かび上がってきて、これを書いていてもワクワクするばかりだ。


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学生村-バイトと滞在費 [学生村]

2017.4.19

先日、ヤフーニュースで「学生村」というワードを見た。ニュースの内容は見なかったが、心に残ったので書くことにした。

私が大学生だったころ、毎年夏になると1か月ぐらい長野の学生村に滞在していた。

1か月も?と思う方もいると思うが、当時、3食おやつ付きで確か3000円だったと思う。つまり1か月滞在しても9万円で済んだ。お気楽な学生の身分であった当時、その夏の滞在費を捻出するために、学業をそっちのけでバイトに精を出した。

当時、バイト時給は300円?か500円。

時給500円として8時間で4000円/日。週3で一月4万円ぐらいだから、夏休み前の半年ゆったりと働けば、交通費も含めて十分貯められる金額であり、学生成り金には存分楽しめる金額であった。

毎年、7月20日を首を長くして待った。東京駅は既に夏休みに入った学生や家族連れで賑わっていた。気ままなバイト学生ではあったが、やはりお金のありがたみは少しずつわかってきていたので、交通費も安く済まそうと思い、列車は急行もしくは鈍行で行った。「青春何とか切符」というのもあって、1カ月間有効だったので、それを使ったこともあったと思う。当時は新幹線などもないので6~7時間かけて行った。

6~7時間かけて着いたところは松本駅、そこから松本電鉄に乗り換え30分ほどで終点新島々。そこからまたバスに乗って1時間余り、楢の木坂で下車した。そこが我が学生村であった。

そこにはいろんな青春があり、今思い出してもわくわくするようなそんなドラマが数々あったが、それはまた次回に。


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